クリスマスの近づいた今週、久しぶりに店頭のディスプレーに手を入れた。
パスタイムの前面は横長のガラス張りだから、通りからよく見える。
何となく外に出て改めて眺めてみたら、かなり改善すべき点が見つかって、手を入れることになったのだ。
残念ながら、デザインのセンスは持ち合わせていない。
だから、せめて 「この時計は一般的には解りにくいから、誰にでも馴染みのあるメーカーの時計に替えよう」 とか 「この説明文には、かわいらしいとか素晴らしいとか、見れば分かる情報ばかり書いてあるから、書き直しておこう」 みたいな心理面を重視している。
外をやっていたら中のディスプレーも気になり始め、、結局終わったのは夕方。
まずい!今週はまだまだやらなきゃいけないことはたくさんあるのに。。
12月も半ばに近くなって、いよいよパスタイムも年末モードに入っている。
例年この時期になると年内の納品予定の時計はもとより、年始の準備等で、なにかとバタバタ。
ちなみにゴールデンウィークやお盆は交代で休みを取りながら店は開けているから、正月はパスタイム唯一の休業期間。
特に今年は、暮れの27日~年始の5日まで10日間閉めっぱなしになるから、年明け前にやっておかなければならないことは山積みだ。
「おーい。ゴリン(佐々木)、今やってる時計そろそろ上がりそうか?」
「うーん、、いま天真切ってるとこなんですけど、、たぶんもうそんなに掛からないと思います」
佐々木のアダ名がゴリンになったのは、時計学校の学生時代に時計技術の技能五輪に挑戦していたから。
残念ながら優勝は叶わず、、その年の優勝者はファッションモデル並みの美貌の女子だったと聞いた周りの連中からは 「なんだよ、その子に来てほしかったなぁー」 なんてイジられている。
「真下くんの方は、なにやってたっけ?」
「Sさんのオメガです。 定期整備なんで、もうすぐ終わりそうです。」
「そうか。 じゃあ大丈夫だな。」
「そういやぁ、お前は何年うちにいるんだっけ?」
「えーっと、、佐々木とボクは今度の3月で丸3年ですね。 早いすねー。」
「ホントだな、。」
月日は、飛ぶように過ぎる。
入った頃は毎日のように怒鳴りつけていた新入りが、、、気が付けば、着々と修理をこなすようになっているのだ。
「いやー、やっとルイ針上がりましたよ。」
長いこと針の製作に掛かっていた辻本が、品物を見せにきた。
「どれどれ、、おー、いいじゃん。」
念のために説明すると、ルイ針とは主に18世紀~20世紀初頭あたりまでに用いられた針のスタイルで、透かし彫りの華やかな装飾があるのが特徴。
ルイ14世、ルイ15世などと細かく分類されることもあるようだが、、、定義はあまりはっきりしないから、うちではただルイ針と呼んでいる。
出来あがったばかりのルイ針は、ビュランの走った飾りの部分が鋭く輝き、そこから突然始まる棒状の部分は柔らかい丸みを帯びながら、先端の尖りに続く。
本当に綺麗で申し分のない針だが、その裏にあるのは18Kの板をひたすら削っては彫り削っては彫り、針先のように尖らせたヤスリで形を整えといった地道な作業の繰り返し。
当然、高コストにならざるを得ない。
そんな訳で、100年くらい前から近年にかけてのルイ針は金型やワックス型で作られるようになったのだが、これだとだらけてしまって、本物の鋭さがでない。
まあ本物を見たことがなければそれでも 「綺麗だね」 という事になるのだろうが、やはりそれでは我慢できない愛好家がいて、辻本は年間に何セットか製作しているのだ。
「で、次は何やりますか?」
「そうだなー。 依頼品が一段落ついてるなら、文字盤やってもらうかな。 赤銅の黒文字盤。 前回作った黒染めケースの、先週Sさんにご注文いただいてなくなちゃったから。 で、今度はシルバーのクッションケースに黒文字盤でいこうかな。」
「いいですね。 やりましょう。」
頷くと、辻本はさっそく作業台に戻って行った。
パソコンのところでは、寺田が何やらパチパチ打っていた。
、「あ、寺田くん、新しく入ってきた独立秒針の時計、もうそろそろホームページに上げられるかな?」
「一応写真は撮りました。 あとは編集してコメント入れて、なんで、、来週には上げられますかね。」
「あ、そう。 じゃ、できたら水曜日に間に合わせて。 この間品出ししてから何も追加してないから。」
「ええ、、、なんとか頑張ります。」
寺田にも、まったく余裕はない。
いや寺田も、というより、もしかしたらうちで今一番余裕がないのは、奴かもしれない。
商品アップのための画像撮影や記事の編集の全て、メールの返信、接客、電話の応対から顧客情報の管理、時計の発送、その他諸々の雑用をこなしている最中に、「おい、テラーー」
岩田のお呼びが頻繁に掛かり、修理履歴の照会その他の用事を頼まれ、ちょっと手が空いていそうな感じになれば 「あ、寺田くん、あとでこの時計のガラス取り換えといて」 なんて感じで私が言いつけるから。
そう言えば、寺田が入社したの5年前の冬だった。
その前年の暮れ、それまでいた2人のベテランがほぼ同時期に抜けることになり、店は私、岩田、辻本の3人になってしまったのだ。
必死でなんとか頑張るも、誰もが手一杯。
それまで3ヶ月くらいだった修理品の納期は、たちまち半年になり一年になり、、更には、一年半まで延びた。
なんとかしようにも時計を直すのは私と岩田の2人だけだし、辻本にも外装修理やエングレービングが詰まっている。
「いくらなんでもこりゃあ、なんとかしないとまずいなー。 よし。」
とりあえず、渋谷の時計学校 「ヒコみずの」 の就職課Sさんに電話を入れた。
「ご無沙汰しております。 人手がなくて困ってるんで、誰か優秀でうち向きな女子学生いませんかね?」
女子学生と指定したのは、もちろんおかしな理由(?)からではない。
それまで紅一点だったHが辞めてしまって以来、男ばかりの3人所帯で、店の雰囲気が暗くなった気がしていたからだ。
しかし、長年のお付き合いのSさんは即答!
「あ、中島さん、今は男女特定の募集はできないんですよ! それより、この春卒業予定で、まさに御社向きの男の子がいます。」
「へえー、そうなんですか、、、まあいいや。 ちなみにその子はどんな感じですか?」
「大学を卒業してからうちに来る前には靴職人の専門学校にも行ってたみたいですけど、、、なんかすごく精巧なミニチュアの鉄道模型を作ってネット販売していたことがあったりする子で、、、きっと向いてると思いますよ!」
「なるほど。 それじゃあ、一度店に遊びに来てもらおうかな? 」
「さっそく本人に言って、連絡させます。 よろしくお願いしますね」
「、、おじゃまします」
数日後、、、オドオドした感じで訪ねて来たのは、七三分け、銀縁メガネの若者。
時計屋というよりも、、、どちらかというと、金融系が似合いそうな感じの若者だった。
「なんだか、ミニチュア模型作ってたらしいね? どんなのやってたの?」
「鉄道模型のミニチュアです。 部品も自分で作って塗装します。 これです」
カバンから取り出した列車の模型を作業台の上に乗せると、、「どれー?!」
すかさず岩田が来て、手に取って嘗め回すように見はじめた。
やがて、神妙な顔つきでじっと立ちすくむ寺田に向かって開口一番 「、、、だめ」
続けて 「こんなん、車輪なんか自分で作ってないっしょ? 売ってるやつ塗装してくっつけただけでしょ? ガッカリしちゃったー。 ダメだよこんなんじゃー。 作るんなら全部自分で作んねーとー」
「いやー、、まあ、、、へへへ」
しかしボロクソに言われた若者は怒る風もなく、、、頭を掻いている。
うん、なんとかなるかな。
岩田の洗礼を受けた若者のその反応をみて、私は言った。
「来れるなら、明日から来ればいいよ。 学校終わってからなら毎日でも来れんだろ?」
「来ます! なんでもします!」
「中島さん、今回はありがとうございました。 おかげさまで、これで今年も卒業生の就職が100パーセントになりました!」
就職課のSさんからの電話で、寺田が就職先の決まっていない最後の学生だったということを知ったのは、、、ヤツが研修を終えた初夏のことだった。
(続く)