桜が散ったと思ったらもう四月も後半、ゴールデンウィークは目の前。
事務スペースに掛けてあるうちのカレンダーにはスタッフの休暇予定が書きこまれ、気分はもう5月に入っている。
東村山で店を始めたのは、1990年の5月1日だった。
つまりこの5月で、33年目に入る。
決して成功してはいない。
まあ、今までよくやってこられたなー、というのが実感だ。
「おまえさー、アンティークの店なんて、無理に決まってんじゃん。ダイビング屋しかやったことないくせして。」
「そんなことないっすよ。 なんとかなると思いますよ。」
「無理だよ。 だいたい、そういうのは、どっかでちゃんと修行してからやんないと。 絶対失敗するな。」
「でも、、、もうやることに決めたんですよ。」
あの時、、親しくしてもらっていた先輩にそんな風に言われて、意地になった。
正直言って自信があったわけじゃないけど、無理だと言われるとやめられなくなる。
ボロクソに言われて怒りが湧き、「クソ―、どうなってもいいからやってやる」となったワケ。
今になって思えば、親身に心配してそう言ってくれたんだろうけど、、もし反対に「 へー、やったらいいと思うよ。きっとうまくいくよ。」なんて言われていたら、やめていたかもしれない。
早い話が、へそ曲がりなのだ。
「なんか、何したらいいのか分かんないんだよなぁー。」
最近、就職活動を始めた長女が、居間でつぶやいた。
「はは。 そんなの簡単に分かりゃー苦労はねーよ。 考えてもムダムダ。」
「なんだ。 ぜんぜん、参考になんねぇー、、。」
まともな親なら「資格を取っておいた方がいいよ。」とか「将来困らないように、手に職をつけなさい」なんて感じのアドバイスができるんだろうけど、、私にはできない。
そもそも私自身就職活動をしたことがないし、、20代の半ばを過ぎても、自分が何がしたいのか分からなかったんだから。
SNSのプロフィールなんかに「ダイビングの仕事で20代初めに渡米」なんてなってるけど、、本当はちょっと違う。
このブログでも書いたことがあるけど、かつて勤めていたダイビング屋の社長の勧めで、フィリピン→インドネシアでそれぞれ一年ずつ、スキューバダイビングのガイドをしていた。
で、戻ってきた後しばらくして今度はアメリカ西海岸に行ったのだけど、、実は、そこではダイビングの仕事はロクにしていない。
年に何回か、東京のショップから来たカリブ海のダイビングツアーなんかに同行していただけだった。
アメリカにいた若き日の私は、自分が何をしたいのか分からなくて、、とりあえずやったのが、いわゆるバックパッカー。
大陸横断バスに乗り、ロサンゼルスからフロリダの最南端キーウェストまで、道中、いろんなトラブルに見舞われながら考え続けたけど、答えなんか出ない。
ロサンゼルスに戻ってきてからは金が尽きて、最初に働いたのは、リトル東京にあったブティック。
そのうち学生をやってみたくなって郊外のカレッジに通うようになり、夜はすし屋のウェイターを掛け持ちした。
すし屋で、想い出した。
その頃、たまたまロサンゼルスからちょっと行った海岸で潜ったら、バカでかいアワビやウニがいくらでもいた。
まあ、現地の人間は誰も獲らないんだから当たり前か。
これをバイト先のすし屋のオヤジに買い上げてもらって、これはいい小遣い稼ぎになったんだけど、、、ちょっとしたことでそのオヤジと喧嘩して、すし屋を辞めちゃったんだった。
それからは、ゴルフ場のバイト、ハリウッドのレストラン、その他カレッジをやめてからはここじゃあ言えないようなことも含めていろいろやったし、ある時は、ハリウッドのテレビ番組のオーディション受けに行って大恥をかいたこともあったっけ(笑)
でも、何をしたいのかは、分からないまま。
結局、アメリカからは3年ちょっとで帰国して、元いたダイビングショップに戻ったのだった。
勝手知ったる仕事だったけど、2年くらい経った頃、ちょっと違和感を感じ始めた。
海が好きだから海の仕事をしている、、でも、なにかしっくりこない。
ダイビング屋っていうのは、講習にしろガイドにしろ、一緒に潜ったお客さんに喜んでもらってナンボの仕事だ。
もちろんそこにはやりがいや喜びがあるのだけど、、一方で、ちょっと目を離したらいつ人が死ぬかもしれなくて、自分自身が海を楽しむ余裕なんてない。
これは本当に人それぞれだと思うけど、、、私の場合は、これは違うなと感じたのだ。
小さな頃からずっと思い描いていた仕事が、選択肢から外れた。
あいかわらず何すればいいかは分からなかったけど、、これはないな、っていうのが分かっただけ、少しは前進か?
辞めてはみたけど、何やるか?
2、3ヶ月はプラプラしていたけど、、、いくらなんでも、いい歳をして何もしないでいるわけにはいかない。
何とかしないと、、。
その頃、私のオフクロは、地元の商店街で端切れなんかを売る小さな店をやっていた。
ある時、用事があって店に寄り、ふと、思いついた。
あ、俺も店やるか。
ロサンゼルスで買い付けを手伝ったことのある、アンティーク雑貨が頭をよぎった。
よし、あれだ。
そんな感じで急に思いつき、「オフクロ、俺、ここで店やるよ」 「えーっ!」
最初は出て行くのを嫌がっていたオフクロも結局折れて、入れ替わりに、私はそこで店をやることにしたのだが、、、この顛末を話したところ、冒頭のとおり、先輩にボロクソ言われたのだった。
そんないい加減な経緯ながらも、始めてみれば、無我夢中。
失敗すれば、先輩をはじめ、周りに笑われること間違いなしだから。
とにかく店を潰さないようにするのに必死だったけど(今でもそうだが 笑)、、そのうちアンティーク屋は時計屋になり、いまだに時計屋をやっているわけだ。
自分はいったい、どういう人間なのか?
最近になって、考えることが多くなった。
冷静に、客観的に分析すると、、、せっかち、へそ曲がり、短気。
気の小さいところがあるくせに、ハラハラドキドキするスリルが好きで、、退屈が、なにより苦手。
そう言う意味では、うまくいくかどうか分からない「時計作り」なんか始めた今が、一番楽しいかも。
パソコンの前から、店を見渡してみる。
地板を削ってる岩田の前で、佐々木が部品の仕上げ。
篠原が、自分の時計に入れる彫りの件で辻本と相談している横で、真下は注文品の時計の修復。
虎太郎は腕時計ケースの設計見直し、、寺田は商品ページの追加。
将来の成功なんか保証されていないけど、、みんな先に向けて、それぞれ必死にやっている。
この先、どんな店を目指すのか?
最終的に、私はそこで何がしたいのか?
結局のところ、、自分探しの旅は、今でも続いているのだ。
(続く)