土曜日の朝、駅に向かって歩いていると 「うわっ!」
左足に違和感を感じて、危うくつんのめりそうになった。
足を見ると、、、左の靴のソールが剥がれ、ブラブラとぶら下がっている。
「なんだよー、、。」
左足だけすり足でぴょこぴょこと歩き、なんとか店までたどり着いた。
「寺田くん、悪いな」
「あー、思いっきり剥がれてますね。 脱いで下さい。 今、直しますから。」
時計学校の前に靴職人の養成学校に行っていた寺田は、靴に詳しい。
どこからかボンドを持ってくると、早々に修理。
「これでしばらく履いててください。 すぐにくっつきますから。」
「サンキュー」
靴は直ったが、、、なんとも不吉な感じ。
しかし、メールのチェックをしているうちに、そのことは忘れた。
「昨晩はご馳走様でした。本日お店に伺うのを楽しみにしていましたが、あいにく私は都合が悪くなりました。みんな時計の納品を楽しみにしていますので、よろしくお願いします。」
メールは、前の晩に代々木で夕食をご一緒した、海外の実業家グループの通訳の女性からだった。
その4人組は前の週の土曜に初めて来店し、リーダーのMさんは、店頭に合った赤銅ダイアルのカスタムウォッチをご注文。
翌週の日曜に帰国する一行の予定に合わせて虎太郎が大急ぎで時計を仕上げ、帰国前日の土曜日、つまりその日の5時に時計を受け取りに来る予定になっていたのだ。
幸いグループの全員が英語圏の方だったから、通訳のAさんが同行しないこと自体は問題がない。
「次回お会いするのを楽しみにしていますよ。」と返信した私は、、、虎太郎の仕上げたカスタムウォッチを入念に検品し、夕方の納品の準備に入った。
5時前、作業台にいた私を、寺田が呼んだ。
「中島さん、Mさんからメールが来てます。」
どれどれ、とメールを開くと、「道が混んでいて、30分ほど遅れます」とのこと。
まあ、別に問題なし。
その時、作業台に戻ろうと立ち上がった私の携帯が鳴った。
着信を見ると、、Yさん!
イヤな胸騒ぎを押し殺して電話に出ると、、「お仕事中すみません。 あの、実はさっき淳ちゃんが病院に緊急搬送されて、、」
私と2つ違いの淳ちゃんは、親類の少ない私にとって、付き合いのある唯一の従妹だった。
ずい分前に糖尿をこじらせて右足を切断、、その後何年も闘病生活を送っていたが、つい最近も壊死しかけた左足の状態が悪化して入院し、退院したばかり。
今朝、左の靴底が剥がれた時に感じた不吉な予感は、、、まさにそれだったのだ。
「で、どんな状態ですか?!」
「かなり危ないらしいんです。 来られますか? 病院は小金井にある、、」
「すぐに行きます、、あっ!」
動揺した私は、一瞬忘れていた。
まさに今、Mさんの一行は、時計を受け取りにこっちに向かっているのだ。
あいにく、うちの連中は英語がからきしダメだ。
通訳のAさんがいてくれたら納品自体は問題なかったろうけど、、彼女がいないとなると、どうやっても私が席を外すわけにはいかない。。
電話をくれたYさんに手短に事情を説明した私は、、電話を切って、深呼吸した。
淳ちゃんの容体は気になるが、、先方には全く関係の無いことで、時計の納品を楽しみにしている一行に曇った顔を見せるわけにはいかない。
私は、覚悟を決めた。
「淳ちゃん、、ごめん。」
7時過ぎ、納品は無事に完了した。
Mさんが持参した腕時計コレクションを前に、うちの連中も交えてみんな盛り上がり、翌月、再度来店されることに。
全員と握手を交わすと、一行は笑顔で帰って行った。
淳ちゃんが亡くなったことは、途中、オフクロから入った電話で知っていた。
でも薄情な私の顔には、、おそらく、それは出ていなかったと思う。
(続く)