今日の午後、Jules Jurgensen の納品が、無事完了した。
スプリットセコンドクロノグラフ付きミニッツリピーターという、いわゆる複雑時計。
何年も前からうちにあった時計だが、、この度、晴れてお嫁に行ったわけだ。
店にある在庫商品はどれもこれも私が選んだものだから、気にいらない時計はない。
でも、「これはちょっと珍しいな。」とか 「それなりに見る時計だけど特別状態がいい」なんて感じのものから「これを買わなきゃ何を買うんだ!」とか「んー、、これはまいった。 降参!」みたいなものまで、ニュアンスの違いはある。
そう言う意味で、今日納品したJurgensen はお気に入り中のお気に入り、、正直言うと、いつまでも店に居て欲しい時計?だったのだ。
前から何度も言っている通り、私は「自分の時計」というものを持っていない。
店にある時計はあくまでも店の商品で私個人の持ち物ではないし、欲しい方がいたらお譲りする物。
「マサさん、ホントはそんなこと言って、家にいくつも隠してんじゃないのー?」なんていう方がいるが、、無いものは無い。
そもそも私には、個人的なコレクションなんかしている経済的余裕ができたことがないのだ。
物心ついてから今に至るまで、お金の心配から解放されたことがなくて、いつも「カネがないカネがない」
お金のことは全てカミさんまかせで、自分の預金通帳を見たこともないし、残高も知らない。
完全な小遣い制だけど、そのほぼ全てが釣りに使う車とボートのガソリン代 & 自分のガソリン代(飲み代)で消えてしまう。
言わばガソリン代を稼ぐために時計屋をやってるようなもんで、、とてもじゃないが、自分のコレクションなんかしてる余裕はないのだ。
もっとも、じゃあもしカネがあったらコレクションするのか?って言われれば、、それも違う。
もし私が時計のコレクションを始めたら、「これは特別にいい。 俺の時計にしよう」なんて感じになって、仕入れる時計の中で、一番いいものを自分が取っちゃうに決まってるから。
何度も飲みにいってやっとこさ店の綺麗なオネエちゃんとお近づきになったら実はマスターの彼女だったなんてのと同じようなもんで、、、そんな店、お客にとっては面白くもなんともないのだ。
まあまあそうは言っても、特別に気に入った時計が無くなるのは、やっぱり名残惜しいもの。
次、同じようなものにいつ出会えるかはまったく分からないし、そういう時計ほど、年々無くなってきているから、。
私にとってせめてもの救いは、その時計をお譲りする前に、自分の手を入れられることか。
今回のJurgensenも相当しつこく手を入れたし、ちょっとした冊子ができるくらいに、たくさん部品の写真を撮りまくった。
ちょっと怪しげな言い方になるが、、そうやって隅々まで手を入れて仕上げた時計には、ある意味、私の「念」が入っているはずだ。
しばらく精度試験をやって満足のいく結果が出たら、、いよいよ納品。
この段階になると、晴れ晴れとした気持ちで時計を送り出せる。
自分が特別に気に入っていたものを同じように思ってもらえるとやっぱり嬉しいし、大切にされることが分ると、安心してお嫁に出せる。
そして、新たな持ち主の元に納まったのを見届けると、、2年後の定期整備で再会したいと願うのだ。
(続き)