「マサちゃん、ちょっといい?」
事務机で時計いじりをしていたある昼下がり、大家の山尾さんがジャンクヤードに入ってきた。
八坂商店街の他の面々同様、同じ並びでご主人と金物屋をやっているこのお婆ちゃんも子供の頃から見知った仲で、ちょいちょい世間話しをしに入ってくる。
いつも飄々としていて、良い意味でざっくばらん。
若いころは絵描きをやっていたこともあるようで、、今風に言うとちょっと 「天然」 が入っている感じもある人なのだが、、この日は何だかちょっとソワソワしていた。
「マサちゃんのところ、いつも何だかお客さんと楽しそうにやってるねー。 お店、うまくいってるみたいで良かったねー。」
「いえいえ、楽しそうって言っても何だかバタバタしてるだけで、、でもまあ、おかげさまで何とかやってます。」
何だろう?
元来、サクッと用件から話す人なのに、、。
家賃は遅れてない筈だし、、、騒音を出したりもしてないし、、、ん?待てよ、、、もしかして老朽化の進んだこの山尾ビルを取り壊すとかっていう話しじゃないだろうな?
一瞬私の頭の中は良くない想像で一杯になったが、、蓋を開けてみればそれは取り越し苦労だった。
「ここね、まさちゃんとこのその壁の向こうの半分、うちの物置になってんのよ。 でもうちの人が要らないものばっかり入れてるから、もう全部捨てちゃおうと思って。 だからその壁を抜いて、お店を広くしちゃったらどう?」
「えっ ホント? !」
ジャンクヤードは、鰻の寝床のような5坪の小さな店。
もっとも品物の少ない最初のうちはそれでちょうど良かったのだが直に手狭になってきて、、「もう少し店が広かったらなぁ」 と思っていたところだったのだ!
話しによると、奥の壁を抜いたら店の面積は 「2坪半」 広がると言う。
5坪が7坪半、つまり広さは今の1.5倍になる訳で、、そうなれば、時計いじりのスペースだって出来るかもしれない!
私の心は踊り、「じゃ、お願いします!」 と即答した。
「そう。それじゃうちの人に言って直ぐにでも壁を取っちゃうよ。 来週中くらいには出来るでしょ、こんな壁。 じゃ工事が入る時は教えるからねー。」
さっさと出て行きかけた山尾さんに 「ところであの、、家賃はどうしたらいいですか?」 と私。
嬉しくなってついうっかりしていたが、、、工事をして広くなれば、家賃はそのままというわけにいかないのだ。
「山尾金物店」 は、かつてこの建物の一階全てを占める、この街には不釣り合いなほど立派な金物屋だった。
いつも大工や左官屋などの職人達が忙しそうに出入りしていたし、小学校の図工で使う彫刻刀などの指定販売店にもなっていて、結構な商いをしたのだと思う。
しかしご夫婦が年を取った今はその大部分が貸し店舗になっていて、金物店はその間に埋もれた通路のようなスペースに在庫の残りが置いてあるに過ぎない、いわば開店休業状態。
つまりご夫婦の生活は、私達店子(たなこ)の賃料に依っている筈なのだが、、。
「あーあー、いいのよそんなのは、いーの。 まあ、それはマサちゃんのいいようにしてくれたらいいんだから。」
お金の話しが苦手な山尾さんは、、、逃げるように金物店に消えてしまった。
うーん。 「いいように」 と言われても、どうしたものか、、。
そもそもジャンクヤードの家賃は、たったの5万円。
いくら東村山くんだりとは言え、商店街の路面店では相当に控えめな賃量だし、、その上、それまで私のオフクロが借りていた店というこ
ともあって、保証金はおろか賃貸契約書すら存在しない、全くの信用貸しだったのだ。
山尾さんの言った通り 「壁抜き」 の工事はあっという間に済み、鰻の寝床の奥には、さらに細い巣が出来た。
その巣の奥にリサイクル屋で買ってきた事務机の足にブロックを咬ませた 「作業台」 を設置した私は有頂天になって時計をいじり続け、、、骨董市で知り合いになった所沢の時計屋さんのところに通っては、少しづつ工具や材料を増やしていった。
私は決して手先の器用な部類ではなかったが、、、若くて目が良かったし、何より楽しくて仕方がないから自ずと手が動くようになった。
一方で、催事や骨董祭の出店は相変わらず頻繁だったし、それは店の維持のためにはどうしても必要だったのだが、、、時計をいじっていられる時間が削られるのがもどかしくて仕方なくなった。
「マサちゃんのいいようにしてくれたらいいんだから~」
壁を抜いてから初めての月末、山尾さんのところに家賃の支払いに行った。
これじゃーちょっと少ないかなぁー、、工事費も掛かってるしなー、、でもこれ以上だとうちもキツイからなぁー、、。
ちょっとドキドキしながら 「¥75,000」 を差し出すと 「あ~あ~、マサちゃん、そんなにしなくてよかったのよ~。 元々倉庫だったんだから、、。」
山尾さんは手を激しく横に振ったが、広さが1.5倍だから家賃も1.5倍が妥当だと説得すると、、、領収書を返しながら、珍しく真顔を見せて言ったのだった。
「マサちゃん、、ありがとね。」
(続く)