「ジャンクヤード 吉祥寺店」 の開店準備は、KちゃんやYさんと物件を見てきた翌日から始まった。
夜12時にジャンクヤードを閉めて、連日岩田と二人で現場に向かう。
もっとも正式な賃貸契約と支払いが済むまでは鍵は貰えないから、、まずは看板の設計や見える範囲での内装のデザイン決定、それらの材料の手配などから手をつける。
深夜、電気も着いていない真っ暗な小部屋を覗きながら、「あーでもない、こーでもない」 言っている二人組の姿は、、近隣の人の目にさぞかし怪し気に写ったのではないか。
数日後に鍵を貰ってからは、いよいよ本格的な作業の始まり。
看板や陳列用の棚の制作:取り付け、それから電気の配線関係などは主にセミプロの岩田の仕事で、、、私は専らショーケースの設置や内装の手直し。
その他、ディスプレーや事務スペースの設置、水回りなどの仕上げは、吉祥寺店店長の悦ちゃんにお任せ。
そんな深夜から朝方までの楽しい作業(?)が2週間後くらい続いた後、、こじんまりまとまった吉祥寺店は、めでたくオープンの日を迎えたのだった。
オープン直後の店がどこでもそうであるように、、、ジャンクヤード吉祥寺店も、しばらくはお馴染みさんや同業者仲間、知り合いの来店が続き、お祝いやお花を頂いたりして、それなりに賑やかだった。
しかししばらくすると、それは 「お約束」 のように静かになる。
そして、ここからが、いよいよ本当の勝負になるのだ。
本店で時計をいじりながら、私も心配な日々を過ごしていた。
「悦ちゃん、一人で大丈夫かなぁ。」
馴染みのない街で1人店を開けるのは、何かと心細いものだ。
それにジャンクヤードにはまだまだ経済的余裕というものがないから、、、吉祥寺店は、最初からある程度独立して採算をとれるようにならなければもたない。
そんな店の台所事情をよく知っている彼女には、そう言ったプレッシャーもある筈だった。
しかし今になって思えば、吉祥寺店の出店は、正解だったのだろう。
最初の数ヶ月こそ悦ちゃんも 「お客さん、あんまり入ってこないよー」 とか 「今日も売り上げゼロ~」 なんて言いながら深夜に疲れた顔をして本店に戻って来ていたが、、。
「武蔵野リビング」 という地元紙に小さな広告を出した頃から少しずつお客さんが増えてきて、ポツポツながら婦人物の時計やジュエリーが売れ出した。
「どうやら家賃が払えるようになったねー」 などと喜んでいるうち、悦ちゃんは毎日のように修理品の時計を持って来るようになり、、気がつけば、吉祥寺店からは本店を凌ぐ数の修理品が入り出したのだ。
中には一人で10点以上の時計をいっぺんに持ち込む方も現れて、、、「いいじゃん吉祥寺~、いいじゃ~ん」
もっとも、2店舗分の修理品、販売品を二人で捌かなければいけない私と岩田は、てんてこ舞い。
深夜に店を閉めた後も工房に篭り続ける、ブラックな時計漬けの毎日に。
幸い、ジャンクヤードのお馴染みさんには時計修理を本業にしている方が何人かいて、、、本当にどうにもならない時は、店にアルバイトしにきてもらって急場をしのいだこともあった。
そんな風にして、それなりに無事スタートしたジャンクヤード吉祥寺店。
商品の追加等で私が立ち寄るといつも見かけるお馴染みさんも出来ていたし、並びの店主達とも懇意になって、ホッと一息。
しかし人生は 「筋書きの無いドラマ」
結果から言うと、、、その吉祥寺店は、たったの11ヶ月で店仕舞いしたのだった。
(続く)