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Channel: 吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート
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「回想」 その61

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辻本との数日の引き継ぎを終え、タマちゃんはイタリアに発っていった。
 

しかし辻本は思いの外スムーズに仕事を覚えたから、文字盤やケースの仕事にはさほど穴が開かなかったように思う。
 

更に一年ほどすると、古参の岩田に加えてWやN、それから紅一点のHONらも明らかに力を付けてきて、全体としての戦力は上昇。
 

有難いことに、お客様からの注文や修理の仕事が途切れることはなく、、40半ばになった私は、ようやっと少し先を考えることが出来るようになった。
 

 

 

店を見渡すと、作業スペースはいつの間にか手狭になっている。
 

店の奥には岩田以下4人の修理台にそれぞれの旋盤台、その他自動洗浄機や部品棚。
 

その反対側には私の作業台に大、小合わせて4台の旋盤、そしてその隣には辻本の彫金用の作業スペース。
 

 

 

引っ越して来た時に 「なんて広いんだ」 と思っていたのが、嘘のよう。

 

まるで、30坪の幕の内弁当のようではないか。
 

こうなると、これ以上の増員は無理。
 

もっとも世の中の景気は予測のつかないものだからやたらに人員を増やすのは考えものとして、、、先のことを考えると、まだまだ欲しい工作機械がある。
 

しかしここに居続ける限り、そういった物を置く場所はないのだった。

 

 

 

「よし。 店を移そう!」

 

どうにもならないスペースの壁にぶち当たり、私はいよいよ思い立った。

 

早速、管理会社である一階の 「ヤマキハウジング」 に降りて、若旦那に相談。

 

真っ黒に灼けた強面、、ギョロっとした鋭い眼差しにパンチパーマ、180センチを優に超える体躯に纏う、仕立ての良さそうなスーツ。

 

パッと目は暗黒社会の一員のようにも見える男なのだが、、、これまでも、店のエアコンの故障や水回りの不調があった時などは、非常に誠実で親切な一面を見せる、良い意味で 「意外性の人」 なのだった。

 

 

 

しかし、「広くて、駅からさほど遠くなく、出来るだけ賃料の安い、一階の路面店」 という希望を聞いた若旦那は、、、さすがにちょっと、困ったような顔をした。

 

どういう訳か雑誌のアンケートかなんかで 「住みたい街 No.1」 になっているこの街で、そんな物件を探すのは容易ではない、と。

 

 

 

「中島さんさー、、広いってどのくらい?」 と若旦那。

 

「今が30坪だから、、、50坪とか60坪とか、、。」 と私。

 

「賃料のマックスは?」

 

「今の倍くらいが限界かなー、、。 今が30万だから60万くらいまで」

 

「んー、、、路面店だよね? となると、駅近くは無理かなー、、。 遠くてたってそうは無いけど。」

 

「そんなに近くなくていいんだけど、、。 でもあまり遠いとキツイかなー。 うちは結構年配のお客さん多いし。」

 

「あと、そのクラスの店舗になるとさー、保証金が結構いくんだよね。 その辺どう?」

 

「どのくらいが相場ですか?」

 

「物件によってまちまちだけど、、、まあ500万以下は無いかなー。」

 

 

 

「とりあえず当たってみる」 と言う若旦那に礼を言って2階に戻った私は、時計を組み立てながら考えた。

 

やっぱり、何かを削らないと無理かなー、、。

 

スペースの問題で移転するのだから、広さを削れば意味がない。

 

可能なのは、その他の条件。

 

家賃や保証金の条件を大幅に上げるか?、、、駅からの距離を妥協するか?、、、路面店ではなく、今と同じ2階や地下で我慢するか?

 

しかし、毎月今とは比べ物にならないほどの賃料を払いながら、立地が悪くなるのは避けたかった。

 

それに、「いつか、手打ちそば屋さんのように時計の作業をしているところが道から見えるようにしたい」 という長年の思いもあって、路面店へのこだわりも捨てがたい。

 

 

 

「えー、、まだ、ちょっと無理じゃなーい?、、。」

 

ヨチヨチ歩きの次女をあやしながら遅い夕飯を食べていると、心配そうに悦っちゃんは言った。

 

「んなことねーよ ! 何とかするよ !」

 

ダメだと言われると意地でもやりたくなるのが私の性格だが、、、今の倍以上の家賃、500万以上の保証金は、確かにキツい、。

 

それによく考えたら、それ以外に引っ越しの費用、新しい店舗の内装工事等で、ざっと1000万は要る。

 

やっぱり無理かな、、。

 

 

 

「とーちゃん、お店新しくなるのー? いいなー!」 

 

次女を抱っこしながら嬉しそうにしている1年生の長女は、何もわかっていない。

 

「うん。 まだ決まってないんだけどね、、。」

 

こんなチビどもを抱えて倒産でもしたら、、。

 

 

 

公団住宅のベランダでマイルドセブンを一服しながら、頭を冷やす。

 

眼下の遊歩道には、満開の桜の大木。

 

「パターン、パターン」

 

何人かで練習しているのか、ずっと向こうの公園から聞こえるスケボーの音。

 

その音が途切れると、あたりは再び静まり返った。

 

 

 

広くなきゃ、機械が置けない。

 

駅からバカに遠くじゃ、、それに路面じゃないと、、。

 

確かに、無理は出来ない。

 

けど、、なんとか出来ないか、、なんとか、、。

 

 

 

平成20年の春の夜。

 

諦めの悪い私は、、、いつまでもタバコをふかし続けていたのだった。

 

 

 

(続く)

 

 

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