年が明け、平成19年を迎えた。
イタリア留学が迫ってきたタマちゃんは、出発までに抱えた仕事をこなそうと必死。
これから懐中時計のケース修理は私が何とかするとしても、、、手彫りの文字盤やムーブメントのエングレービングは、一切出来なくなる。
だからお客様の中には 「タマちゃんがいるうちに」 と言うことで、注文を入れてくれる方がいたのだ。
次を考えなければいけない私は、誰かエングレービングの出来る者に心当たりがないか、タマちゃんやジュエリー学校、業界の知り合いにも聞いて回った。
しかし残念ながら、日本の伝統工芸である和彫り(彫刻刀を金づちで叩きながら彫る方法)をやる者はいても、洋彫りをやる者は見つからない。
弱ったなー、、。
それでもまあダメ元で、タマちゃんの出身校 「ヒコみずのジュエリーカレッジ」 の就職課に募集だけは出しておいたのだった。
それから更に一月経ち、2月に入った。
確か、前夜にチェーン店のイタ飯屋でタマちゃんの送別会を終え、、、彼がうちにいるのも、残りあと数日となった日の昼過ぎ。
「すみません、、。」
店のドアを開けて入って来たのは、、、20代前半くらいの若者。
ひょろっとした背高ノッポで天然パーマの縮れっ毛、美大生っぽい出で立ちで、ペタンコのカバンを肩から下げている。
お客さんじゃないな。
咄嗟に、私は思った。
勿論、若くてもお客さんになる人はいる。
でもそういう人は、皆、時計好きに共通したある種の 「匂い」 を持っているものなのだ。
「何だろう?」
もしかすると私は、お客さんじゃなさそうなその若者に、ちょっと邪険だったかもしれない。
「あのー、、、実はボク、こういうのをやってるんですけど、、ちょっと見てもらえますか?」
そう言うなり彼は、ペタンコのカバンからスケッチブックくらいの大きさの金属板を取り出した。
「ん? 何? どれどれ。」
差し出された銅板を受け取ると、そこには、何やら訳の分からないモチーフがギッチリ描かれている。
中央に変な恰好の魚、、、アマゾンあたりに居そうなその魚のどてっ腹には、自動巻きの時計のローターが埋め込まれていて、、、その周りにも、意味の分からない、様々なモノが折り重なっている。
その作風やセンスは到底私の好みではなかったのだが、、、問題はそこではない!
それがエッチングの銅板であることは、私にも直ぐ判った。
ビュランと呼ばれる彫刻刀で銅板を彫ってある、つまり、「彫りが出来る」 ということで、、、しかもそのビュランの切れ味は、なかなかのものだったのだ。
「ほー、なかなかやるじゃん。」
気が付くと、タマちゃんも私の横に来て、その銅板を覗き込んでいる。
「どうだい、タマちゃん?」
「はい。 ちょっといいですか?」
タマはそう言って銅板を手に取り、、「ええ、いいですね。 ちゃんと彫れてます。」
ノッポは嬉しそうにしている。
「それはそうと、、、何でうちに来た?」
「それがですね~」
彼の話しを聞いて、私にもやっと合点がいった。
高校卒業後、版画の世界に入りたかった彼は芸大を受験したが、失敗。
浪人して再度挑戦したものの、再び 「桜散る」 、、。
美術学校に入って洋彫りをやりながらそれを3度繰り返し、、、「いい加減仕事につかないと!」
そんな折、たまたま 「ヒコみずの」 に在籍していた彼の妹がうちの募集を知り、兄に伝えた、という経緯だった。
なるほど、当時、ヒコみずのに洋彫りをやっている者はいないと聞いていたが、、、彼はそこの生徒ではなかったから、誰も知らなかった訳だ。
「ボク、どうですかね? 仕事できますか?」
「うん、いいよ。 採用ー!」
「えっ? 本当ですか?!」
「うん。 明日から来て、このタマちゃんに仕事の段取り教えてもらってな。」
「分かりました!」
良いも悪いもない。
彼にとっても私にとっても 「渡りに船」 とはこの事だ。
嘘のような、本当の話し。
それにしても、タマちゃんがいなくなる数日前とは、話しが出来過ぎている、、。
今では手彫り、ギョーシェ彫り、外装修理にケース製作、何でもござれのエングレーバーの辻本は、、、こんな風にして、パスタイムに飛び込んで来たのだった。
(続く)