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Channel: 吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート
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「回想」 最終回

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2008年の夏は、特別に忙しい夏だった。
 

何はともあれ、まずは銀行から新たな融資を取り付けて、当面の資金を確保。
 

店の保証金や不動産手数料など諸々入れるとざっと賃料の12ヵ月分、その他ヤマキビルの内装撤去費用、引っ越し費用、新しい店の改装費用、、まだまだ他にも、、。
 

創業以来2度目の引っ越しだが、毎度のことながら店の移転には思いの外お金が掛かるものだ。
 

 

 

特に店の改装費用は、かなりの予定外だった。
 

当初は元の内装を軽く手直ししてそのまま使うつもりでいたのだが、要らない小部屋や床を壊したりしているうちにやれ壁紙の色が合わないだの床に段差が出来ただのとなり始め、、結局全ての床、壁、水回りの配管等をやり直して前面ガラスのショーウィンドーを作ったりしたら、、、うわーっ!

 

請求書を見たら、、高級輸入車を一台買ってお釣りが来るほどの金額に。
 

 

もっとも、忙しいのは支払いだけではない。
 

引っ越しの準備から店が完成するまでの半月くらいは全く仕事が手に着かなかったから、修理の仕事が溜まりきっている。
 

ということで新装開店してからしばらくは、全員が毎晩遅くまで時計の修理に掛かりっきりの状態になった。

 

 

それでも新しい店は快適で、心が弾んだ。
 

かねてからの希望通り、私と辻本の作業は道行く人から丸見え。
 

小さなものを夢中でいじっていると意外に人の視線を感じないものだが、、たまにふと顔を上げると、ウィンドーに貼り付いて作業に見入っている子供がいたりして面白い。
 

手打ちをやっている蕎麦屋を見つけるとついガラスに貼り付いてしまう私と同じような感じだろうが、、気を付けていると、いつも同じくらいの時間にじーっと見ている小学生くらいの女の子がいたり。

 

そんな子たちの中からいつか 「時計屋をやりたい」 という者が出て来たらいいな、とも思う。

 

 

 

しばらくは、平穏な日々が続いた。

 

引っ越したとは言っても前の店とは15分くらいしか離れていないから従来のお客様の足が遠のくことはなかったし、2階にあった前の店と違ってちょこちょこ通りの方が入ってきたりして、少しずつではあるが、新規のお客様も増える。

 

賃料は前の倍になったが広さも倍近くなっている上に路面になったのだから、考えようによっては前より安いと言える。

 

私はやはり、運が良かったのだろう。

 

 

 

それからの10年は、 「あっと言う間」 だった。

 

記憶に残るところを時系列で書き出すと、以下の通り。

 

 

引っ越して2年目に 「バックパッカーをやりに行く」 と言う5年生のNが抜けて、人員は5人に。

(ちなみにそのNはラオスで空き巣に全財産を取られてしまったが、、流れ流れてその後は香港へ。 現在はオークション会社で時計の修復等に携わっている。)

 

翌年、ボストンからギョーシェマシンを輸入。 ほどなく辻本が文字盤のギョーシェ彫りを開始。

 

続いて浜松の榎本工業からコンピューター制御のNCフライス盤を導入すると、たった1週間の研修を受けただけの岩田が苦労しながらも、カスタム腕時計のケース製作に成功。

 

以降、従来の定番 「0サイズ 腕3時計」 に加え、6~14サイズのムーブメントを使ったオーダーメイドの腕時計ケースの製作も始め、レパートリーは広がった。

 

5年目、縁があって知り合ったスイスの若手時計師F氏が来日し、3ヶ月間、「パスタイム自社製ムーブメント」 の開発に、設計者として参画する。

 

翌年夏、スイスの独立時計師 「Philippe Dufour」 氏がパスタイムに来店し、更にその年の11月、スイスにて再会。

 

様々な観点からムーブメント開発に関してアドバイスをいただいたが、その後、時間的、資金的制限により、自社製ムーブメントの開発は中断を余儀なくされる。

 

更に翌年の7年目、紅一点のHon、そして大手時計メーカーに移ったWと2人のベテランが相次ぎ退職して人手不足に陥り、、店は移転以来のピンチに!!

 

しかし15年選手のスーパーアルバイト真理ちゃん(枝さん)の出社日数を増やすなどしてなんとか凌いでいるうち、翌年には新人の寺田が加入。

 

更に2018年春から真下、佐々木の2名が加わってパスタイムは再び6人に戻り、中断していた自社製ムーブメント開発も再開、現在に至る。

 

 

 

無茶を承知でジャンクヤードを店開きしたのは、1990年の5月。

 

振り返ってみれば、長かったような気もするれば、あっという間だったような気もする28年。

 

しかし20代のお兄ちゃんだった私が、鏡を見れば、白髭に老眼鏡の初老のオジサン。

 

まるで玉手箱を開けてしまった、浦島太郎のような話しではないか。

 

 

昨年の5月から1年半に渡って続いた 「回想」 シリーズ、お楽しみいただけたでしょうか?

 

28年生のマサズ パスタイムは、まだまだ成長過程。

 

今となっては誰にも真似の出来ない、古の傑作を作った先人達の技術。

 

いつの日かその技に限りなく近づき、そして願わくば、いくらか追い越すことができるよう、これからも老体に鞭打ってゆきます。

 

 

今後ともご支援の程、何卒よろしくお願い致します。

 

 

2018年 10月13日

 

マサズ パスタイム  中島正晴

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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