先週終了した 『回想』 シリーズに関して、ありがたいことに思いの外多くの方から連載の終了を惜しむ声をいただいた。
素人の私が記憶のままに綴った駄文ではあるが、「楽しみにしてたのに」 とか 「終わっちゃってつまんなーい」 などど言われると、「いやいや、お恥ずかしい」 とか言いながら、、、本当はやはり嬉しいもの。
一年半もの間見切ることなく連載を読み続けて下さった皆さん、この場で改めて御礼申し上げます。
さて今回は、パスタイムの現況をお伝えしたい。
「回想」 にも書いた通り、3年前に二人のベテランが離職し、パスタイムは人手不足のピンチに陥った
修理品は溜まりに溜まり、、、納期は一年半以上に。
このままでは、ご購入いただいた時計や以前修理をした時計の定期整備に支障をきたすということで、一時は新規の修理受付けを停止せざるを得ないか、というところまで追い込まれた。
しかし2年半前に寺田が入り、今年になって更に二人の新人が加わって、状況はかなり改善。
もちろん入社したばかりの若者に修理品を任せる訳にはいかないが、助手としては結構手伝うことができるのだ。
具体的に言うと、例えば新しく入って来た時計の風防が傷だらけで、ケースも手垢まみれだったとする。
まあアンティーク時計ではある意味当たり前のことだが、、、この時計を新商品としてホームページに揚げるにあたっては、結構な手間が掛かるもの。
まず必要なのは検品。
ご注文いただいてから 「この時計はやっぱりダメでした」 と言うわけにはいかないから、、、地板や受け板等、基本的な部分に問題がないか、主要部品がヘンテコなものと入れ替わってしまっていないか等、、、この部分にはかなりの経験が必要だから、私か岩田がやるしかない。
困ったことに30年近く店をやっていて、いまだに検品で× 「あちゃーっ!」 となる時計が年に1~2点くらいは存在するから、油断が出来ない。
無事検品に通ったらいよいよ内外装の手入れに入るのだが、、、少し前までは、ここから先も私か岩田、或いは辻本が修理の手を停めてやらざるを得なかった。
だから余計に修理が進まなくなっていた訳だが、今は若者三人衆が担当出来るから大いに助かるのだ。
奥のストックの中からジャストフィットの風防を探し出し、傷だらけの風防と交換。
世界中からかき集めた風防のストックは膨大な数で、適合する寸法、形状のものを見つけ出すだけでも一苦労。
100年以上前の時計だから、、、大概はピッタリいかない。
大きさはいいが高さが、、カーブの具合がどうも、、、場合によっては何時間も探した挙句にちょうどいい物が見つからず、、、僅かに大きい風防を削ったり、遥かに大きいものを削って低くしたりしてフィットさせる必要が出てきて、時間を食うことこの上ない作業。
風防が終わったら、手垢まみれのケースからムーブメントを取り出し、ケースの洗浄、乾燥。
時計によってはムーブメントを取り出すのにかなりテクニックが要るものがあるからそういう場合はその部分だけ私や岩田がやるが、基本的なものは彼らで出来る。
その他、画像を撮るにあたって見苦しいほど傷んだネジがあったり、針にちょっとした錆が浮いていたり、そういった部分の仕上げや手当も、彼らの仕事。
そういう仕事をしているうちに、針の研磨や青焼き入れ、ネジの新規製作等、修復に必要なテクニックは自ずと身についてくる。
一通りの準備が終わったら、画像の撮影→商品説明の入力→ウエブサイトへのアップ
ちなみに商品説明を入れる為にはその時計のことを知らないといけないが、自分で調べないと憶えないから私は敢えて教えない。
本棚にある本や資料を引っ張り出してヒイヒイ言いながら和訳し、入力が終わって 「チェックして下さい」 と言いに来るまで、作業台で自分の時計に向かっているのだ。
ちなみにこの3人を簡単に紹介すると、。
まずは3年生の寺田、27歳。 千葉県出身で、今だに船橋から通勤している。
次に1年生、秋田出身の佐々木、若干22歳。
そして同じく1年生の真下(マシモ)、群馬出身の28歳。
3人とも渋谷にある 「ヒコミズノ ジュエリーカレッジ」 の出身で、佐々木は秋田の県立高校→ヒコミズノだが、寺田は大学卒業後にヒコミズノ、真下は大学卒業後に就職した食品メーカーを退職→ヒコミズノと、いくらか回り道をしている。
私の息子でも全くおかしくないこの若者3人衆。
私や先輩2人のシゴキを受けながら、どのように生き延びているのか?
次回も引き続きご紹介したい。
(続く)