「中島さん、どうですかね?これ?」
しばらくギョーシェマシンにへばりついていた辻本が、小さな銀盤を持ってきた。
そこには、無数の格子模様が彫ってある。
「ん、、ちょっと待った、よく見えないから。 キズミ、キズミはと、、」
「あ、首に付いてますけど、 笑」
キズミをつけて改めて見ると、一見格子のように見えていた模様は、実際には規則正しく並んだ小さなピラミッドの集合体。
「左側のは限界まで細かいピッチで真ん中の方はもう少し荒くしたやつですけど、、そのくらいの方がいいですよね? 細かすぎると、もうなんだか分かんなくなっちゃうから。」 と辻本。
確かにあまりにも細かいと、曇りガラスに見えて、なんだかわからない。
でも真ん中に彫り直した方のピラミッドは、まさに19世紀初頭のアンティークウオッチのギョーシェと同様。
全く違和感がなかった。
「いいじゃん。これならいけるよ。」
「やっとですねー。」
そう。 確かに 「やっと」
思い返せば、回転系のローズエンジンに続いてこのストレートエンジンを入手したのは、8年前だった。
アメリカ東部のロードアイランドから、西海岸のサンフランシスコまで大陸横断。
そこから船で大平洋を渡り、横浜→そして吉祥寺まで。
ロードアイランド州から横浜までの輸送料より横浜から店までの方が高いというバカバカしさに、驚きを通り越して笑ってしまったっけ。
もちろん100年以上経っている機械だから、そのままさあ稼働とはいかない。
ガタのきている部分にちょこちょこ手を入れ続け、ようやっと使用できるレベルになったのだった。
馴染みのない方のために解説すると、、 「ギョーシェ彫り」 は、18世紀末~19世紀初頭にフランスをはじめ欧州や英国で流行り、後にアメリカにも伝わっていった、機械彫りの装飾。
時計のケースや文字盤を始め、ジュエリーや万年筆のボディなんかの装飾にも使われていた。
機械彫りといっても自動で動くものではなく、職人が様々なカムを組み合わせ、手動式のハンドルを回しながら刃物を指で押して彫る、つまり熟練の必要な手作業の技術だ。
ギョーシェには二通りあって、一つはカムが回転運動する 「ローズエンジン」、もうひとつは、直線的に上下する 「ストレートエンジン」
それぞれの仕事に向き不向きがあるが、時計に関して言えば、外装(ケース)にはローズエンジンが使用されることが多く、文字盤にはローズ、もしくはローズとストレートが併用される。
つまりうちでは今までローズエンジンのギョーシェダイアルだけだったのが、これで2つのコンビネーションが可能になった訳だ。
「よーし、キターっ! どうよ、これ!」
岩田が大声を上げると、反射的に、真下と佐々木が後ろを振り向いた。
チンチンチンチン、、、チンコン チンコン チンコン。
こっちの方にも、微かにリピーターの音が聞こえてくる。
「どうこれ? どう? んー?」
「おお!」 「スゴイですね、へへへ」
満足そうな岩田がリピーターのスイッチを入れると、オートマタの動きを覗き込み、2人とも驚いている。
どれどれ、と私も覗きに行くと、、、金属板に写真の切り抜きを取り付けた、おもちゃチックな文字盤。
でも、、ハンマーを振り上げ、振り下ろすオートマタのアクションは、完全に動作しているではないか!
「これ、腕時計にできる?」
今月の始め、そんな感じで岩田に渡したのは、スイス製の1/4リピータームーブメント。
それは10年以上前、ある韓国の時計師が腕時計にしかけ、未完成のままオークションに出展したスイス製のムーブメントだった。
ちょっと専門的になるが、、懐中時計のリピータームーブメントを腕時計にコンバートする場合、一番問題になるのはスライドの位置だ。
懐中時計と違い、腕時計にはラグ(バンドの取り付けられる足)がある。
大抵の場合、このラグに、スイッチであるスライドがまともに干渉してしまうのだ。
その韓国の時計師は、スライドの代わりに回転式のベゼルを回してリピーターを起動させようとしたあげくにギブアップしたようだったのだが、、岩田ならなんとかするのでは?
サイズも小ぶりで、腕時計にするにはちょうどいいし。
そう思って買っておいたのだが、。
「これダメ。 ムーブメントのレバーの位置が悪すぎますよー。 ケースの9時位置にスライド持ってこうとしたら、ありえないほど中で延長しないと。 これはちょっと無理があるかなー、、。」
予想通り、岩田はムーブメントを一目見て難色を示した。
でも、これはいつものことで、こっちも最初から織り込み済み。
「無理なら無理で、懐中時計にしてもいいし、、まあちょっと見てみて」
そんな感じで手渡してしらばっくれていたのだが、、、出来上がったケースをみると、内部を加工してスライドのストロークを遥か彼方に延長するような格好で、実にうまく解決してあった。
こうなると、あとは文字盤だ。
この紙細工のモチーフを、どんな細工の完成品にするか?
「おーい、辻―! ほら、出番だぞー!」
「はいはい。 なんですか?」
岩田が呼ぶと、ニヤニヤしながら辻本がやってきた。
「これ、文字盤作りたい? 人形作って、彫りたい?」
「あ、いいすねーっ。 人形作りはやったことないけど、面白そうっすね。 」
彫れると聞けば、黙ってはいない。
新たな試みに、辻本は食いついた。
文字盤の製作にあたって、私が辻本に伝えた希望。
向かい合った天使が鐘を叩くような、西洋の宗教的なモチーフのものでないこと。
もちろん西洋で作られたアンティークの時計ならそれでいいのだが、、せっかくうちで作るのだから、日本人が作ったことを感じられるものにしてもらいたい。
そうかといって、鶴や亀、桜や富士山を前面に出した、、いうなれば、「外国人向けのお土産品のような和風」 とは違ったもの。
確かに、簡単ではない。
「お疲れさまー」 「お先に失礼します」 「ほい。 お疲れさん」
時刻は7時を回り、早番の岩田と辻本は仕事を上った。
なんだろうなー。
私自身、頭の中にはっきりとした絵があるわけではないし、、、そもそも作るのは、私ではない。
どんな文字盤が出来上がるのか?
どんな方が身に着けることになるのか?
旋盤に向かってぼんやり妄想していると、閉店時間はじきにやってきた。