新人研修が始まって、一週間が経った。
「こんな感じでどうですかね?」
「どれどれ、、ちょっと見せて」
篠原の持ってきた 「ポーカー&ビートル」 の針は青焼きが入り、一応完成の形。
ポーカーは暖炉の火かき、分針はカブトムシの脚。
18世紀の英国時計に多い針の組み合わせだが、欧州の時計にもいくらかある。
針はそれなりに出来あがっていたし、青い焼き色も、ちゃんと合っていた。
初めての仕事としては、まあいいデキと言ってもいいが、、欲を言えば、時針の飾りの一部、それからそこに続く胴体部分の鋭角なくびれや繋がりに、ややけじめのないところが残っている。
原因は2つある。
一つ目は、まだ篠原が本物のアンティーク時計をそれほど見ていないという、経験的な問題。
これはまだ仕方ない。
何の世界でもそうだと思うが、、本当に良いものを見たことがないと、目は養われない。
言ってみれば、ゴールだと思っていたところが、実はそうではないということ。
若者が時計に興味を持って、時計学校に通うようになる。
「うわー、この時計いいなぁ」 「こっちのも恰好いいなぁ」
そんな感じで、時計雑誌やインターネットのサイト、それから時計店で目にするようになる時計は、通常、現行品だ。
そうやってプレス加工されたような針を見慣れてしまい、感覚的にそれが当たり前になって、その中で、こっちの方がいい、いや あっちの方が綺麗だと、良し悪しを判断するようになったはずなのだ。
少々話しが逸れるが、、、まだ若かった頃、京橋の老舗の骨董屋のオヤジから、こんな話を聞いた。
「若い丁稚が店に入ったらね、最初の一年くらいは良い品の手入ればかりをさせるんだ。 そして目が出来てきたなーって頃になったら、贋作や駄物を混ぜてやる。 そうするとね、私がなにも教えなくても、あ、なんか変だなって解るようになる。 でも最初から駄物を見せると目が悪くなって、良い物が分かるるようになるまで時間がかかるんだよ。」
2つ目の問題は、純粋に物理的なもの。
彼が使っている、市販の精密やすりの限界とも言える。
スイス製の高級ヤスリと言えども、角にはごく僅かな丸みがあって、いわゆるピン角ではない。
まあ通常の仕事では問題にならないレベルなのだが、、いずれにせよ、角の丸いヤスリで鋭い鋭角の切れ込みを出すことは、物理的に不可能。
だから、うちの連中は皆ヤスリを加工したり専用の工具を作ったりしている。
飾り針の製作など、特に細かい仕事の多い辻本のヤスリなどは、ヤスリというよりはナイフのような形になっているのだ。
「あー、、。 わかりました。」
とりわけ出来のいい針のついている時計を見せたあとで専用工具の作り方と使用法を教えると、篠原は作業台に戻っていった。
「どうだ? いいのできたか?」
オートマタのモチーフに手を着けている清水の作業台の上には、簡単なデッサンがいくつも並んでいた。
まあそんなに簡単に出来るものではないから、 「できたか?」 は冗談のつもりだったが、、、、「はい。 だいたいは。」
振り返った虎太郎(こたろう)からは、予想外の返事が返ってきた。
「ん?どれ。 どんなのになった?」
「ええと、、中島さんの言っていた日本のモチーフで考えて、月見をしているウサギと稲穂が動くオートマタにしようと思ったんですけど、、この試作品のようにモチーフが文字盤の上の方にあるとどうにも動きがぎこちなくなるんです。 むしろ時計をひっくり返して、下側で動くようにしたらいいかなと。 上下をひっくり返すからリューズが左側に来ちゃいますけど、いいですか? たしかに腕に着けた時は巻きにくくなるけど、反対にスライドは右に来るからリピーターの操作はやり易くなります。」
「んー、、。 左リューズか、。」
正直、まったく考えていなかった。
腕につけた時にリューズが左側に来る、「左利き用」 の腕時計は、かつてあるにはあったが、、このリピーターをひっくり返すのは、、。
逆さにした時計を腕につけてみながら違和感が薄れるまで、、しばらく掛かった。
でもまあ、確かにオートマタの動きとしては悪くないし、その方が腕に着けたままでリピーターを起動し易いのは確か。
メリットもデメリットもあるが、、。
「まあいいや。 最終的な形はまだ決定しないけど、とりあえずそのままもう少し進めてみ。 ウサギや稲穂の動きがどんな風になるかもみてみたいし。」
「わかりました。」
自分の修理台に戻った私は、作業をしながら考えた。
逆さまか、、逆さまなぁ、、まあ、無しではないけどな。
しかし実際には文字盤のデザインよりも、別のことが気になっていたのだ。
「へへ。 若くて頭が柔らかいってのは、面白いもんですね。」
私のショックに同調するような、辻本の声が前から聞こえた。
「俺も結構考えたけど、、でも逆さにするってのは全くなかったですよ」
30代の辻本ですら、それを感じたとは、、。
固くなった自分の頭、それはやはり老いなのか?
暗くなった通りに向かって手を動かしながら、私は自分の若かりし頃を、しきりに想い出していた。
(続く)