「おはよう」 「おはようございます」
店に入ると、いつもより人が多い。
ああそうか。
いよいよ新人二人の研修が始まったのだ。
研修と言っても特に決まったカリキュラムがあるわけではなく、仕事の中から彼ら向きのものを選んで、どんどんやってもらうスタイル。
注) 間違っても研修中にお客さまの時計をいじらせたりはしませんので、その点はご心配なく。
ランゲアワード金賞の金ちゃん(篠原)の最初の仕事は、18世紀バージウォッチの時分針製作。
去年うちに来だした頃に練習で手を着け始めたやつだが、卒業作品で手一杯になって、結局そのままになっていた。
これは簡単に言うと、生の鋼をヤスリでガリガリと削って形を作り、研磨仕上げをしてから焼きを入れて、最後に青色まで焼き戻すという工程。
普通の時計よりちょっと難易度が高いのは、分針の穴が四角い穴になっている部分だ。
時刻合わせの際に鍵を使って分針のポストを回す 「鍵合わせ」 の時計だからそうなるのだが、毎正時で自発的に鐘を打つこの時計の場合、四角いポストに差し込まれた分針が、まさに鐘が鳴るタイミングでちゃんと正時を指すように穴を開けなければいけないところ。
角穴の向きがちょっとでもズレるとまだ11時45分なのに正時の鐘がなったり、12時10分になってもまだ鐘が鳴らないなんてことになるから、結構厄介だ。
「すみません。 角穴を開けたら周りが切れちゃいました、、。」
私のところに持ってきた針のポストを見ると、丸い穴に角柱の棒を叩きこんだ際に、プチっと亀裂が入っている。
「あ、やったな。」
でも正直言ってこれは、作業の様子を遠目に見ていて予想していた結果だ。
最終的な寸法に近づけてからガンと角穴を開けようとすれば、十中八九はこうなる。
「材料を削る前に穴を開けて、あとからギリギリまで周りを削っていけばこうならない。 順番が違うだけで、結果は大違いだよな?」
「あ、、。 そうですね。」
すぐに納得がいったようで、2回目はうまくやった。
最年少の清水の最初の仕事は、1940年頃のロレックスの手巻き腕時計。
「ねぇ、ねぇ、私の時計、ちっとも分解掃除してくれないねー、、。」
半年くらい前に預かったカミさんの腕時計は、ずっと私のカバンに入りっ放しだった。
手が空いたら自宅の作業場でやろうとは思っていたのだけど、、やらなきゃいけない時計はいくつもあるから、手など空かない。、
お客さんの時計と違って万一壊しても問題ないからこれ幸いとばかりに清水に渡したのだが、、「終わりました。 次どうすればいいでしょうか?」
さすがにこれでは物足りなかったか、、あっという間に終わってしまった。
「よし、じゃーなー、、、あ、ちょっと面白いのやってみるか!」
「え、なんですか?」
渡したのは、先月岩田が作ったオートマタ機構を乗せた1/4リピーター腕時計のプロトタイプ。
「このオートマタ、まだモチーフもデザインも決まってないんだけどな、、、とりあえず好きなように考えてみ」
元々は辻本に任せていたプロジェクトだったが、他にもヤツの仕事は詰まっていて、手をつけられずにいたのだった。
リピーターがチンチンチンと時打ちをする際に、どういうモチーフがどういう動きをするようにするか?
当初、私も一緒になってちょっと考えたが、どうもコレといった案が浮かばない。
辻本も、考えれば考えるほど年単位のプロジェクトになるような構想が浮かんできては、、結局他の仕事で忙殺されていた。
その日の昼、ちょっとしたやり取りがあった。
「清水君は、ヒコみづの行く前、高校では何やってたんだっけ?」
工業高校で、叩き出しとか、、主に日本の伝統工芸みたいなことやってました」
「え?叩き出し? それって鍋とか叩いて作るやつ?」
叩き出しと聞いて、辻本が食いついてきた。
「そうです。 鍋とかそういう大きいもんです。」
「じゃあオートマタのフィギュア、叩き出しで作れんじゃないの?」
「こんなに小さい物はやったことないけど、、たぶん、、練習すれば。」
「それだけ作ってくれたらさぁ、そっからは俺が彫りまくるよ!」
「ははは」
私は難物の商品の仕上げが途中になっていた。
岩田はトゥールビヨンの試作品を改良しているし、その後にはリピーターの腕時計ケース製作が控えている。
入って来ていきなりじゃあハードルが高いけど、、まあどんなことになるかやらせてみるか、、。
そんな感じで、とりあえず渡してみたのだった。
(続く)