「お、、キタ!」
それまで静かだった竿先に、明らかなアタリがあった。
「よし!」
反射的に竿を持ち上げると、思いの外ズッシリとした重量感が伝わる。
「お、デカイな。 なんだ? おーおー、ヤバイヤバイ!」
リールのハンドルをグリグリと回して巻き上げても、、反対にズズズズーっと糸が出ていってしまう。
慌ててドラグを絞め直すが、、あんまり絞めたら糸が切れちゃうのだ。
「こういうときは、、少し巻けたら少し出て、を繰り返しながら辛抱強く粘る、と。 わかってんだよ。 なんなって、もう20年からやってんだからな。 おおっと、おーおー、、。」
独り言を言いながら、大物とのやりとりに熱中。
風は弱く、海上は凪ぎで静か。
ドキドキとした、自分の心拍音が聞こえそうなほどだ。
ガリガリガリ。
10メートル毎に色分けされたリールの糸が、ついに最後の青になった。
「よし、あと10メートル、、頼む、ここまできてバレんなよー!」
相手はなんだろう?
大暴れしないところをみるとサメの線はない。
船下でグルグル回らないから、マグロでもない。
ときおりビクビクっと抵抗するだけだけど、とにかく重い。
ということは、、?
ハタか?アブラボウズか?
どてっ腹を上にして、水面にボッコリ浮き上がる巨大な魚が目に浮かぶ。
もう少しだ。
水面下にボーっと影か見えてきた!
白っぽい、、でも。
「え、、あっ、、、なんだよーー!」
よくみると、それは大きな魚網の残骸だった。
ずいぶん昔に千切れたかなんかで、海底に沈んでいたんだろう。
「くそったれー!」
ギャフで引っ掛けて船べりに引き寄せると、、絡まった糸の針先には、小さなカサゴが掛かっている。
つまりビクビクと抵抗していたのは針に掛かったこのカサゴで、、重量感の方は魚網だったというわけだ。
糸を切り、カサゴも魚網の屑も、針から外す。
そしてギャフ抜くと、どちらもすーっと深い青に吸い込まれていった。
「ふーっ、、」
かなり落ち込みながらも、とりあえずは一服。
考えてみれば、この小舟の上は、遠慮なしでタバコを吸える唯一の場所かも。
「クククッ、、アハハ」
しぼんだ気持ちが落ち着いたら、、なんだか可笑しくなってきた。
網の残骸とも知らず、巨魚の姿を思い描きながら真剣になっていたとは。
一部始終を誰かが見ていたら、、腹を抱えて笑うだろうな。
額から吹き出す汗を拭いながら、腕時計に目をくれる。
傷だらけ仕様?のハミルトン カスタム腕時計。
時計を見たら、ちょっとだけ我に返った。
いかんいかん、、、今は忘れなきゃ。
腕を伸ばして遠目に見た文字盤では、、先っぽの折れた分針と、ひん曲がった時針が、昼過ぎを指していた。
「あれ、もうそんな時間なのか。。」
ドキドキしながら巻き上げていたのは20分か、30分かな?
遊んでいる時間は、間違いなく早く過ぎるもんだ。
船上を片付けて、早めに船着き場に戻った。
空っぽのクーラーボックスを乗せて、車のハンドルを握る頃には、思い出す。
「あー、あの時計、、時間合ってるかな?」
前日に自宅に持ち帰った精度試験中の時計で、ちょっと精度の不安定なヤツがある。
やることは全てやってある、はず。
でも、温度の影響を補正する機能のない頃の時計だから、温かくなると遅れ、涼しい日はその反対になるのだ。
そういう道理なのだけど、、それにしても、もうちょい精度が上がってくれたらいいんだけどなぁ、、。
網代を越えて、熱海に入った。
自粛宣言中とは言え、、小田原方面の国道は渋滞の情報。
あそこもやったし、それ以外も大丈夫なんだけどなぁ。
昨日ちょっと手を入れたから、今日の結果が気になってしかたない。
車を路肩に寄せて、カミさんに電話した。
「あー、オレオレ。 あのさー、キッチンのカウンターの一番下の引き出しに入れてある精度試験の時計なんだけど、、、一番デカいバージの時計、あーそーそー、その一番古いやつの時間が電波時計とどのくらいズレてるか見ておいてくんないかな。 うん、今言わなくていいけど、メモしておいて。 もうすぐ小田原だから、夕飯はうちで食うよ。」
今結果を聞いてもどうにもならないし、それにもし結果が予想外に悪くてイライラしてもイヤだから、、、でも、だったらなんで今聞くのだ?
考えてみたら、全く矛盾してるんだけど、、。
小田原厚着道路の手前まで来た頃、キンコーン。
ポケットの中で、ラインの着信音。
赤信号で止まった時チラッと見ると、、カミさんからだ。
でもまだ見ない。
「ククク、、。 それにしてもバカっぽいな。」
あの重量感とピクピクは、、デカいハタだと思ったんだけどなー。
漁網を引き上げた自分の間抜けな後ろ姿を、もう一人の自分が見ている気になって、ついつい笑ってしまう。
同じポイントで釣りしたら、また漁網に捕まっちゃうかも?
圏央道で、一服しにパーキングエリアに入った。
タバコに火をつけて、やっぱりおそるおそるラインを開くと、カミさんからは、2枚の画像送信、。
一枚は件の時計の文字盤、そしてもう一枚は居間の電波時計。
なるほど、、1分遅れか。
熱くなるロフトの作業場じゃ遅れるに決まってるからキッチンに置いておいたのだけど、それでも遅れるとなると、、、もう少し進めとかないと、か。
200年前の時計は、まったく温度計みたいなもんだ。
国立インターを出る頃には時計屋の頭に戻って、、小さなカサゴや汚れた漁網は、すっかり消え失せていた。
でも前日の夜より頭はスッキリしていて、ちょっと時計をいじりたいな、なんて思うから不思議だ。
一週間のうち一日、いや半日でも。
チクタクチクタクとした、時計のことを全く考えない時間。
その空白の時間が、飽きっぽい私を 「仕事好き」 にさせてくれているのだろう。