「あーあ。 やってないかー。。」
覚悟はしていたけど、やっぱり、だった。
スイスのメーカーに問い合わせていた「アンクルのツメ石」 は、3年前に製造を中止したとの返答。
スイスの他社、それから日本国内でも特注のツメ石を作るメーカーはあるが、、最低発注ロットが数1000個から、というところばかりで、、、うちにとっては現実的ではない。
問い合わせていたそのルビーメーカーは、6年ほど前にスイスの独立時計師フィリップデュフォーさんが 「比較的少数でも対応してくれるところだよ」 と教えてくれ、わざわざ商品カタログまで送ってくださったところだったのだが、、ちょっと遅かったか。
どうやらオリジナルムーブメントのアンクルのツメ石は、全てうちで加工しなければならなくなったようだ。
ちなみに、うちには大量のツメ石がある。
でもそれはサイズ、先端の角度の異なるものの寄せ集めで、、その昔流通していた、いわゆる修理用のアソート。
プロトタイプのアンクルに使った一対のツメ石は、この中から選び出した。
でも、何10も何100も同じものは揃っていない。
ちなみに左右のツメ石の先端には、それぞれ異なる角度がついている。
そしてこの角度は、時計の設計によって微妙に違う。
うちのオリジナルムーブメントの場合、現行の汎用ムーブメント用のものとは違っていて、出来合いのツメ石を買っても使えないのだ。
「佐々木くんさー、ツメ石加工用の治具作っておいて。」
「えっ? 今やってる方法じゃだめですか? 結構うまくできるようになりましたけど。」
「いや、上面の研磨じゃなくて、先端の加工。 チャチャッと角度を決めて研磨できるように、ほら、そこにある旋盤をそれ専用にしていいから。」
以前、寺田が使っていた古い旋盤を指さして言うと、、「あ、、えー、、わかりました。」
覚悟を決めたように、佐々木はうなずいた。
ツメ石の研磨自体は、アンティーク時計の修復でやっている。
例えば、高級時計のツメ石の一方が欠けてしまっているなんて場合、角度の合う石はアソートから見つけても、上面は真っ平。
もう一方のツメ石の上面が曲面に研磨されているのに、取り換えた石は真っ平では、見映えが悪い。
だから、もう一方と同じように上面を丸く研磨することになるのだが、、先端の角度を加工しなければいけないことは、まずない。
先述した通り、アソートの中に、一個や二個は、角度の合う石があるから。
でもまあ、無いものは仕方ない。
アソートのルビーを使って、専用の装置を作ってやっていれば、、そのうち 「わけのない仕事」 になっていくだろう。
まったく、すんなりいかないことだらけ。
すんなりいかないと言えば、他にもたくさんあるが。
先月のことだった。
「中島さん、ヒゲゼンマイの会社から返事きてますよ」
「ん、お、来たか!」
こっちも同じものが一定数要るから、スイスメーカーに問い合わせてあったのだが、なかなか返事が来なかったのだ。
「どれどれ、、、お、、」
先方からのメールには、私が必要としているヒゲゼンマイの寸法とテンプの設計図、、可能なら、ヒゲゼンマイの規格数値が欲しい、とあった。
私が作った自家製のテンプには、やはり汎用ムーブメントのヒゲゼンマイが合わない。
とりあえず、店のアソートから合いそうな強さ・寸法のものを見つけ、長さを調整して取り付けてみた。
それで時間は合うようになったが、、、理想値よりも少しだけヒゲゼンマイの反発力が強いようで、テンプに対して割合的に直径の大きなヒゲゼンマイになってしまうのだ。
「もう少しだけ弱いヒゲがいいんだけどなぁ、、、でも何て言ったら先方に通じるんだろ、、。 テンプの設計図を送るのはいいとして、、、ヒゲの規格数値なんて、全く分からん。」
正直、これはアンティーク時計の修復をやっていて、考えたことのない問題だった。
「うーーーん。」
「ただいまー。」 「おかえり.。 ビール?」 「いや、今日はいいや。」
そそくさと夕食を終えて仕事部屋に上がり、スイスのFabianにラインしてみた。
「そんなわけで、、ヒゲの規格が分かんなくて弱ってるんだ、、」
スイスに帰国したFabianは、その後時計メーカーの仕事を辞めて、今は時計学校の教師になっている。
何年か前、デュフォーさんの娘さんの担任になっちゃったよなんて笑っていた。
旋盤の手入れをしていると、返事は直ぐに返って来た。
「ははは。 MASA、タイミングいいねー。 今、まさにそれ、授業で教えてるとこだよ。 それはね~」
彼の説明は以下のようだった。
ヒゲゼンマイの規格で、CGSっていうのがある。
CGS 4.5 とかCGS 3.7 とか、それで強さや寸法が分るようになっている。
それぞれのテンプに合ったヒゲゼンマイのCGS数値を知るには、、、あらかじめCGS数値が分っていて、なおかつ強さが大まかに合いそうなヒゲゼンマイを自分の作ったテンプに取り付けて、時間が合うように長さを調整する。
時間が合うようになったら、その状態でヒゲゼンマイの直径を測る。
そのテンプに合うCGS数値は、、、テンプの半径をヒゲゼンマイの直径で割ったものを二乗し、それにテストで使ったヒゲゼンマイのCGS数値を掛けたものになる。
「ちょっと待った。 そうすると、もともとCGS数値の分かっているヒゲゼンマイが無い限りダメじゃん。 だよね?」
「うん。 それは必要。 パスタイムにない? ヒゲ、たくさんあったよね。」
「うーん、、番号付きのは見た憶えないなー、、でも、明日片っ端から見てみるわ。 Fabian、ありがと。 今度来日したら、また釣りに行こうな」
「うん。 楽しみにしてるよ。」
翌日、店のヒゲゼンマイを片っ端からあさってみると、、、「お、あった!」
そこそこ強さの近そうなヒゲゼンマイのストックをみつけたら、パッケージに 「CGS 4.5」 と書いてあるではないか。
「ツイてるなー」
ヒゲゼンマイをテンプに取り付け、振動数が合うように長さを調整。
やや直径は大き目になったが、この場合、それはどうでもいい。
Fabianの送ってくれた公式に測った数値をあてはめて計算すると、、、このテンプにピッタリの(はずの)、CGS数値が出たのだった。
まさに、カタツムリのような歩み。
なにしろ、ムーブメントプロジェクトを始めたのは、7年も8年も前、いや、もっと前だったかもしれない。
昨今では、時計をはじめて数年後には、汎用ムーブメントを改造して時計を作っている連中がいるし、実際、うちの篠原や清水もそういう時計を、学生時代に完成している。
でも、一つだけ言い訳をすれば、、、うちの場合は、本当の意味で、丸っきり自前のムーブメント。
地板や受け板、全ての歯車、カナ、アンクル、スプリングからネジまで、、全ての部品を自前で作ることに執着したプロジェクトゆえの、難産なのだ。
(続く)