さてさて、気がつけば今年もいよいよ最終日。
年を取れば一年が早くなるのは当たり前の理屈だと前にも触れたけど、、それにしても早い。
振り返ってみれば、去年に引き続き、今年もコロナ騒ぎに翻弄された年だった。
昔からのお馴染みさんはみなそれなりに高齢になっていて、この状況下ではおいそれと来店いただけない。
以前は、「脚がおぼつかないけどどうしても時計が見たい」 なんて場合に寺田あたりが時計を持ってお邪魔することもあったが、、コロナじゃそれもできない。
結果、今年は特に、来店される方の平均年齢がかなり下がったように思う。
もっとも、若くなったと言えば店もそうだ。
今年入社した篠原と虎太朗、4年目の佐々木は20代、真下と寺田、辻本は30代前半~半ば。
なんとなく仕事場に活気が出て来たし、みんなまだまだ何10年も先があって、羨ましい。
マサズ パスタイムも、いよいよ来年は33年目に入る。
振り返れば、その間世の中は劇的に変わり、、、それにつれて、店も少しずつ形を変えてきた。
開店当初は、アンティーク雑貨に時計が混ざるといった感じの、たった5坪のマサズ ジャンクヤード時代。
船に例えれば、いつひっくり返ってもおかしくない 「手漕ぎボート」 のようなものか。
数年は、ローカルな駅前の蚤の市にはじまり、百貨店のアンティークフェアー、各地の骨董祭などの催事で食いつないだ。
でも、、、雑貨の売れ行きは、年々縮小。
「このままじゃマズいな、、。」
無い頭をひねり、唯一動きのあった腕時計中心の品揃えにして、「ビンテージ腕時計の店」 に路線変更。
これが一度目の舵切りだった。
時計の修理をはじめ、懐中時計の品揃えを増やして何年かするうち岩田も加わって、ある程度修理の仕事はできるようになったが、、、その頃には、いよいよ催事が総崩れになっていた。
催事というのは恐ろしいもので、出店している間ずっと店は品薄になり、商売はおろそかになる。
それでも催事で売り上げが立っていればいいのだが、、それがダメとなると、台所は途端に苦しくなる。
「このまま催事に頼っていたら、どっちもダメになる」
そう感じて催事の誘いを全て断り、店中心の商いにしようと本拠を吉祥寺に移して、店名もマサズ パスタイムに変更。
20年くらい前のこれが、二度目の舵切りだった。
それからしばらくは平和な時が過ぎ、今の店に移る頃にはスタッフも増えて、、手漕ぎボートだった 「パスタイム号」 は、小型モーターボートくらいの感じにはなった。
でも、穏やかな海は、長く続かないもの。
じきに 「サブプライム」 「リーマンショック」 で、海上は荒れ模様。
それをなんとかしのいでいるところに 「東日本大震災」 、続いて 「スタッフ2人の欠員」 という大波を食らい、、乗組員が、私、岩田、辻本の3名になったパスタイム号は、波間でグラングランの大揺れ。
修理の受付が 「2年半待ち」 なんて馬鹿げたことになったのは、この頃だ。
なんとかしないと、沈没する!
急遽、時計学校でただ一人就職にあぶれていた寺田を採用し(笑)、、翌年に真下、佐々木と加えて数年。
皆がんばって修理の納期も正常化し、なんとか態勢を立て直したかと一息ついたところに、、今度はコロナという台風で海は大シケ!
当然マイナス面が多かったが、、一方で、今まで考えなかったことを考える、良い機会にもなった。
来年33歳になるパスタイム号は、おかげさまで今のところ航海を続けている。
でも、急激な少子高齢化が進むこの国で、 「アンティーク時計の販売、修復の店」 に、この先はあるのだろうか?
このままの形で、若い連中は、将来の希望を持てるだろうか?
コロナのせい、か? コロナのおかげ、か?
いずれにせよ、迷いがなくなった。
今こそ、長年の夢だった 「本格的な時計作りの工房」 にしよう。
アンティーク時計の修復を通してみんな充分に力はつけたし、必要な機材は追加すればいい。
私自身、いつまでも現場にいられるか分からない歳になったし。
もちろん、従来の業務は継続しながら。
創業以来、三度目の、そして一番大きな舵切り。
間違えば、パスタイム号はあさっての方角に向かってしまうか、大波を食らって転覆するかもしれない。
そして、舵切りの頼りは、、、あてにならない私の羅針盤。
いずれにしても、来年はスリル満点?の年になりそうだ。
(続く)
マサズ パスタイムのお客さまへ
昨年に続きコロナ問題で揺れた2021年でしたが、このような状況下においても変わらぬご愛顧をいただき、誠にありがとうございました、
おかげさまで、スタッフ一同、今年も無事に新年が迎えられそうです。
心より御礼申し上げます。
2021年 12月28日
店主 中島正晴