土曜日の晩、馴染みの店で、ある女性に出会った。
なんて言うと 「いい年してなにやってんだか」 なんて思われそうだけど、、、あいにくそういう話しじゃあない。
土曜日の晩は私にとって休日の前夜だけど、日曜日の早朝に釣りに行く都合上、いつもは直帰する。
でもこの日曜日は強風予報だった上に津波の話しも出ていたから、釣りは中止して、寄り道したわけだ。
「あれー、マサさんしばらくだね。 生きてたの?」
顔馴染みの常連客は、死んだ人間が棺桶から出てきたようなことを言うけど、、たしかにこのところほとんど寄ってなかったのだから仕方ないか。
「ったくさー、コロナだからって言い訳して、ホントは吉祥寺あたりでフラフラしてんじゃないのー?」
「いや、ホントに行ってないんだよ。 ハモニカもすっかりご無沙汰してんだ。」
久しぶりの酒は回りが早く、そうなると、どういうわけだか、時計の針も早く回り始める。
ちょっと一杯のつもりだったのにバカ話に花が咲き、、気がつけば12時を回っていた。
「さぁてと、、そろそろお勘定してもらおうかな」
「はーい」
でもマスターのRさんは、すぐには会計をしない。
なぜなら、一旦勘定を済ませたあとの私が 「あ、やっぱりもう一杯だけ」 なんてやるのを知っているからだ。
案の定、この日も腰を上げかけた頃になって、、一人の女性が飛び込んできた。
「あー、もう今日はさんざん池袋で飲んでたんだけどねー、、なんか飲み足んないから、またきちゃったよー」
「なんだよ○○ちゃん、いつだってそうじゃねーか」
この店の住人のようなMさんがからかってるところをみると、、どうやらちょいちょい寄る人らしい。
かなり飲んでいるらしいけど、その割にシャンとしていて、雰囲気が華やか。
良く通る明るい声で話す、妙齢のお嬢様といった感じ。
L字カウンターの端に腰かけた彼女は、しばらく隣のMさんと話しをしていたが、、、一息ついた頃、どちらからともなく、コーナーにいる私とも言葉を交わし始めた。
こうなると、もう完全に仕切り直しだ。
「Rさん、、最後の一杯もらおっかな」
「はいはい。 シングルでいいですか?」
「いや。 ダボ―で」
マスターにすれば、、予想通りの展開だろう。
私がその人に持った第一印象は、概ねあたっていた。
ピアニスト。
名前は出せないが、、、ネット検索すると、かなりバリバリとやっている人のようだ。
うちの近所でひっそりとやっているこの店には、なぜか音楽家や女優さんなんかがよく寄っていて、、、気がつくと山本陽子さんが呑んでいたりもする、不思議な店なのだ。
「○○ちゃん、マサさんはさー、時計屋やってんだよ。 時計屋ー。」
ひとしきり話しが進んだ頃、酔っ払いのMさんも、私の肩に手をかけながら話に加わってきた。
そっちのケはないみたいだけど、、酔うとよく接触する人だ。
「へー、マサさん、時計屋さん? 国立ですか?」
「いや、店は吉祥寺なんだ。 住み家はすぐそこなんだけどね。」
「でも時計屋って言ってもさー、マサさんとこは普通の時計屋じゃないんだよ。 古い時計の時計屋。 あー、、アンチークっつーの、分かる? 俺なんかさぁ、このあいだこのロレックス分解掃除してくれっていったら断られちまったよ。 そんな最近の時計はやってないって」
「へぇ、アンティークの時計ですかぁ。 いいですね。 よくは分からないけど、なんか素敵ですよね。 昔の物って。」
「うん。 いいもんですよ。 何百年も歴史のあるもんだしね。 ○○さんも、モダンな曲やっていても、クラッシックは好きでしょ?」
「クラッシック? あーあのベートーベンとかショパンとかいうヤツか。 なんだか痒くなってきたからよー、俺はションベンしてこよーっと。」
トイレに立ったMさんは、都合のいいことに、そのまま別の常連と話し込みはじめた。
「Rさん、最後の一杯ねー。 ダボ―っ」
時計の針はとっくに2時を回っていて、いよいよバーボンが効いてきた。
結構なペースで飲んでいるその人も、ちょっといい調子になってきたけど、、お互い、話しは尽きない。
「○○さんもさー、モダンな演奏をやってても、やっぱりクラッシックが好き。 そういうのって、わかるような気がするんだよね、俺。」
この話しで、ちょっと空気が変わった。
「マサさん、それは好き嫌いの問題じゃなくて、必然だと思います。 古典があって、はじめてモダンができる。 ずっと積み重なってきたものが土台にあって、その上に新しいものができるって感じかな。 しっかりとした土台がなければ、上っ面だけのものになっちゃいますよね。」
なるほど、時計と同じだな。
そう思った瞬間、いっぺんに酔いが醒めた。
「Rさん、お勘定ね。 そろそろホントに帰らないと」
「○○さん、またね。」
コートの襟を立てて、フラフラとうちを目指した。
古典があって、今のものがある。
確かにそうだ。
その2つは趣向の違う別個のものではなくて、間違いなく繋がっている。
500年もの間、時計師たちが積み上げてきたもの。
それを充分に知り、その失敗も成功も体感してこそ、進むべき先が見える。
100年前の人間も、先人の時計に接することでその欠点を知り、改良した時計を作ったろう。
「100年前の時計は、ここがこんなに傷んでる。 ここは違った方式にしなきゃ。」
「100年も経ってる時計なのに、この部分はビクともしてない。 この作りは引き継ぐべきだ」 というように。
ある時は苦しめられ、ある時は感心しながら、、アンティーク時計に接してきた。
たかだか30年で全てを知ったわけではないが、、いや、実際にはまだ知らないことの方が多いだろうけど、、。
でも、少なくとも私のもとには、 「数千個の時計の、数百年分の耐久試験」 のデータがある。
考えようによっては、それを目的に、得ようと思って得られるもんじゃないだろう。
それを活かした時計を残してこそ、うちの存在価値があるというもの。
仕事中はもちろん、飲んでいても釣りをしていても、、今の私には、そのことしか考えられないのだ。
(続く)