「グラグラグラ」
「あっ、揺れてる」
「おーおーおー、、おっと、デカいな。 ヤバいぞ。 みんな表に出ろ!」
「Oさんも、外に出ましょう!」 「んー、そーだね。」
「うわーっ、電柱が揺れまくってるよ。 窓ガラス、割れそうだなー、。 やめてくれー。」
あの日から、今日でちょうど11年。
店にいた常連のOさんを含め帰宅できなくなったスタッフもいたが、ケガ人も損害もなかったのは幸い。
一方で、直後に報道された東日本の津波被害や福島原発の事故の悲惨さは、、、想像をはるかに超えたものだった。
あの日のブログを読み返してみようと思って検索すると、、あれ?、、当日のブログでは、暢気にも釣り関係の本を紹介している。
そうか。
つまりその記事を投稿した時間にはまだ地震が来てなかったわけで、、地震の話しは、その2日後に投稿していた。
歳を取るにつれ、時間はあっという間に過ぎるようになる。
でも東北ではいまだに避難生活を強いられている方がいるようだし、福島原発の問題も山積み。
つまり時間が過ぎたというだけで、決して決着したわけじゃない。
そう言えば、あの時、私は半分本気で店を香港あたりに移そうかなんて考えてた。
あれが余震で、そのうちもっとデカい本震が来たら、とても時計屋なんかやってられないなと。
それがそのうち 「まーまだ平気かな」 なんて感じになり、いつの間にか怖さが消え去って、日常に戻っちゃう。
あいかわらずいつ巨大な地震が起きてもおかしくない状況なのに、賞味期限が迫った非常用食料はとっくに食い尽くし、カミさんが最近追加した様子もないし。
それよりも、この2年はコロナコロナでそれどこじゃなかったっていうのが実際のところか。
そこへもってきて、今度は、ロシアのウクライナ侵攻。
ついこの間まで、「さすがにやらんだろー」 なんて言っていたのに、実際にはあっさり始まった。
たった一人の狂人のために罪のない大勢の人間が犠牲になり、、、ことの次第によっては世界大戦、日本も戦場になる可能性がある。
そんな状況下にあっても、店では 「あーあ、このウォルサムなかなか精度安定しないなー」 とか 「もう少しで文字盤出来そうです」 なんて感じで、普段と変わりがない、、というか、何も変えようがないというか、。
結局のところ、人間は 「その時」 にならないと、本気になれないものなんだな。
今日と同じ、少しうすら寒かったあの日を想い出した私は、、、そう合点がいったのだった。
(続く)