「中島さん、ちょっといいですか?」
「ん? どした?」
「あ、例の仕上げ、、こんな感じになりました。」
開店前にドライバーを手入れしていた私のところに、真下がムーブメントの地板を持ってきた。
学生時代、コートドジュネーブやペルラージュといった仕上げ作業を得意にしていた真下は、、現在、うちで製作中の地板や受け板の、仕上げ担当になっている。
持ってきたのは篠原が製作している時計で、設計を一部変更する前のもの、つまり、今となってはボツになったテスト用の地板だ。
地板には表裏それぞれに段差があって、下の段は一般的なペルラージュ仕上げ、しかし、上の段は不規則な模様のある仕上げになっている。
これは、金工の世界で古くから用いられてきた「炭研ぎ」と呼ばれる手法。
簡単に言うと、炭で金属の表面を擦って、霞がかった模様をつけるやり方。
見た目としては、子供のころ使っていたプラスティックの下敷きのあの「モヤモヤっとした模様」と言えば分りやすいだろうか?(ちょっと古いか?)
ちなみに、刀装具マニア(?)の辻本によると、、もともと炭研ぎは、赤銅の刀装具なんかを黒染めする直前の段階で行なう研磨作業で、これは主に赤銅の表面を均しつつ、脱脂するのが目的。
黒染めした後は紋様がはっきり見えなくなるから、表面の仕上げとして用いられていたわけではないようだ。
この炭研ぎ仕上げ、アンティークの懐中時計ではそれなりに馴染みのあるもので、地板、受け板以外にも、香箱のフタなんかに施されているものも見る。
アンティーク時計愛好家の身近なところ(?)では、キーストーンハワードの12サイズなんかの地板の裏側は、ほぼ全てこれだ。
また最近でも、国内外の時計師で試している者がいるらしい。
「うん、いいじゃん、これ。 俺はこの雰囲気好きなんだよな。」
「いい感じですよね。 辻本さんに教わりながらやってるんですけど、、ただこれ、手でやるんで模様が一律にはできなくて、いくつかやったら、どれも同じにはならないんですよ。 そこがどうなのかな、と。」
「別にいいんだよ、一律じゃなくて。 そもそも俺は、工業製品みたいな時計を作りたいわけじゃないから。 まあ、篠原が自分のモデルはコートドジュネーブとかにしたいってんならそれはそれでいいけど。 すべて好きにさせる約束だからな。 でも、俺の進めてる方の時計は、これでいこうかな。」
「分かりました。」
ご存知の通り、人にはそれぞれの好み、考え方がある。
当然「機械式時計」に求めるものも多様で、、ある人は、10個あれば10個ともが全く同じ、完全無欠な工業製品を求めるし、、ある人は、職人の工芸品的な品物を求め、それぞれの個体が均一かどうかには関心がない。
もちろん時計である以上はちゃんと動かなくちゃいけないし、動いても、まともに時間が合わないんじゃ困る。
でも、最低限そこさえクリアすれば(といってもそれが大変なのだけど)、、そこから先は、それこそ好き好きでいい。
ちなみに自分自身の話しをさせてもらうと、私自身は工芸的なものを好むタイプ。
時計に限らずだけど、均一な工業製品の類には、まったく興味が湧かない。
工業的で均一なもの、無機質で、人の息吹を感じないものが苦手なのだ。
例えば、飲み屋で差し出された品書きが、決まりきった印刷の書体(最近多い、崩した筆書きのフォントのあれ)だと「あーー、またこれかよー」としょんぼりしちゃう。
でも反対に、達筆の女将がさらさらと筆書きした和紙の品書きがあったりすると、、あー、いいなーと元気が出て、酒が進んじゃうタイプ。
年賀状なんかもそう。
最初から最後まで全部印刷されたのが来ると「、、、」ってなるけど、、一言でも「また会おうね!」みたいなことが手書きしてあると、気持ちを感じて、嬉しくなっちゃう。
だれだそこ? 「めんどくせー」って言ってんの?
もちろん、機械作りがダメだなんていうつもりはない。
うちだって店の中は機械だらけだし、最近は、同じものを効率良く作るために、コンピューター制御の機械をどんどん導入してるくらい。
機械として精度が重視される部分に関しては、当然そうなる。
だけど、「見せる」部分に関しては、別。
誤解を恐れずに言えば、、私にとっては、機械作りは「必要悪」なのだ。
飲み屋のメニューにしろ年賀状にしろ、本当は手で書いた方が気持ちが伝わるんだけど、、大量に必要な場合はそうもいかない。
だから、仕方なく印刷する。
車だってそう。
往年の名車のように、熟練の板金工がボディーを叩き出して作った車は工芸品の域に達しているが、、大量生産・大量消費時代の昨今、そんなやり方をしていたら生産が追い付かない。
それに、厳密に言えば一台一台が微妙に違うものになって、これもメーカーとしては都合が悪い。
だからプレスでやる。
当然、プレスで抜くのに都合の良さそうな恰好の車ばかりになったが、、まあ、我慢して乗っているわけだ。
話しを時計に戻すと、、かつての時計は、、文字盤にしろケースにしろムーブメントにしろ、職人の技で仕上げした(せざるを得なかった)もの。
出来不出来の差はあるが、総じて表情が豊かで美しい。
でもこういう工芸的なやり方だと、一つの時計を作るのにやたらと時間が掛かるし個体差も出るから、、産業革命を経て、時計も完全な工業製品になっていったわけだ。
まあ、それはそれでいいよね。
そのおかげで、昔と違ってちょっいと気合いを入れれば(?)誰もが機械式時計を買える時代になったんだから。
さてさて、じゃあ、今うちで作ろうとしている時計に関しては、どうなのか?
そんなにたくさん作る必要がない、、っていうか、逆立ちしても、そんなにたくさんは作れない。
それは10人足らずの零細商店の弱みでもあるけど、、これは、発想を転換すれば、強みにもなりえる?
なにしろ、均一なものをたくさん作るつもりがないのだから、、仕上げの部分には、職人の技を思う存分駆使できるのだ。
仮にそんな時計を見て「あのー、ここんとこ、、このMasa's Pastimeのロゴの二つ目のaの彫りが、一つ目に較べてちょっと小さいような、、」 みたいな指摘があったら?
「ん? あ、そうかな?」でおしまい(笑)
機械彫りとかレーザー彫りにすればそういう指摘はなくなるだろうけど、、少なくとも私は、不完全であっても手彫りの文字の方が、美しいと感じるから。
もっともそういう方は、そもそもうちにはいらっしゃらないか?
最後に、この文字盤を見ていただきたい。
言わずと知れた、18世紀末~19世紀初頭の天才時計師「Breguet」の時計。
数字、ムーンフェイズの月の顔やその下の飾り板、Breguet et filsのロゴはビュランの手彫り。
文字盤のベースはローズエンジン、ストレートエンジン、2種類の手動工具を駆使して彫ったギョーシェで、金の時分針も、青焼きのインジケーターの針も、手ヤスリの細工物だ。
もちろんブレゲ本人が文字盤を作っていたわけではなくて、これは、針職人、ギョーシェ職人、エングレーバー(彫り師)による合作だ。
試しに、この文字盤のアラ探しをしてみて下さい。
ロゴの字には、手彫り特有の不完全さはある。
数字の背景、帯状のサークルの研磨仕上げは、決して均質ではない。
更に見ていくと、、なんと、ムーンフェイズのインデックス外側の半円のドット状の彫りなんか、左側だけ11時のドットの方に向けて、ちょっこっと突っこんじゃってる!(笑)
おそらく「おっ、と」みたいな感じで、ローズエンジンのハンドルを回している手を僅かに止め損なったんだろうけど、。
でも、、それが一体、どうしたというのだ?!
完全無欠だけど、つまらないもの。
不完全だけど、美しいもの。
その違いが解る方のために、、今、うちは時計を作っているのだ。
(続く)