プランタン銀座アンティークバザールは、2週間の会期を終えた。
初めてづくしの私にとっては、長かったような短かったような2週間。
鳴かず飛ばずだった前半に対し、ミーちゃんの出現以降、後半はそれなりの成果が上がり、、、課長から 「ジャンクヤードさん、次回もよろしくお願いしますよ!」 とお声掛けが。
すんでのところで首の皮が繋がり、、、ホッと胸を撫で下ろしたのであった。
静かなジャンクヤードでの毎日に戻ってしばらくした頃、、、 I さんから電話が入った。
「どう? 頑張ってる? 今度の土曜日、石神井のグラウンドで野球やるんだけど、来れる?』
話しには聞いていたが、Iさんはやはり相当な野球好きのようで、、アンティーク屋ばかりを集めたチームをやっているようだ。
子供の頃、人並みに少年野球をやっていた私は、二つ返事で承諾。
土曜日の朝、入り口のサッシに 「夕方には戻ります」 とメモを貼り付け、、石神井のグラウンドへと向かったのだった。
その後、土曜日に店を空けるのが難しくなってきたこともあり、野球の方は1年くらいで引退(?)したが、、、それ以降、Iさんとのお付き合いは野球に留まらなかった。
プランタン以外の百貨店催事、それから日本各地を巡る骨董祭出店のお誘いをいただき、、、月に一度はどこかの催事でご一緒するように。
そして、その他、別の同業者から話をいただいた骨董祭などにも参加し始めた私は、、、気が付けば、半分は店、半分はどこかの催しに出ているような状態になっていた。
当時の記憶を辿ると、、、確か、第一日曜日は、多摩センター駅前、パルテノン多摩の骨董市。
二週目の日曜は、飯田橋駅前のラムラ飯田橋骨董市。
その他、横浜、名古屋、大阪、岡山、広島、福岡等、地方の骨董祭に加え、、、花見の時分と夏は、上野の不忍池の畔での骨董市にも出店。
ちなみにこれは、一回が一週間の会期で、、開店も閉店も、営業時間は自由。
夜は電線から引っ張ったコンセントに裸電球を差し込み、やる気があれば朝まででも商売出来る、という耐久戦だった。
初めてこれに参加した夏、私は前日までI さん他一名の3人グループで、大阪の骨董祭に参加していた。
初日、2日目と、商売を終えてはその日の売り上げを握り締めて大阪の街に繰り出し、、3人でお約束の、食い倒れ & 飲み倒れ。
そして最終日、搬出作業を終えた後にミナミの天ぷら屋で打ち上げをやり、車の中で一眠りしてから深夜に帰路についたが、、、翌日の上野骨董祭の搬入は、朝の6時。
熟睡状態の2人 & 骨董品満載のタウンエースを必死に飛ばし、、、早朝5時頃にジャンクヤードに到着。
慌てて一部の荷物を積み替えてそのまま不忍の池へ行き、、、そこから一週間、灼熱の太陽の元で露店、などという生活になっていた。
(続く)