全ての催事を辞め、店の仕事に専念するようになってから、一年ほど経っていた。
それまで同様、私と岩田は2階で時計の修理。
Hさんは、一階の営業。
そしてアメリカから戻った悦ちゃんは、1階と2階を行ったり来たりしながらお客さんに対応するスタイルに定着。
思えば、開店以来10年近くずっと催事続きだったから、、それまでそんな風に人間も商品も揃っていたことはなかったのだ。
おかげで馴染みのお客さんも増えて、特に週末の2階は、かなり賑やかに。
そして、皆さんいつも私や岩田の作業を目の前で見ているせいか、、時計そのものだけでなく、「時計いじり」 に興味を持つお客さんも多くなった。
それならばと、毎週土曜日には有志数人に2階のテーブルを解放して、『修理教室』 を開始。
ヤスリがけ、ドライバーやピンセットの仕上げ等、基本的なことから始めて、その後は分解、組み立ての実習。
更には生の鋼を削ってドリルを作り、焼き入れをして切れ味を試したり、、、結構マニアックな教室になった。
毎週熱心に続けるうち、持っている時計の分解掃除だけでは飽きたらず、旋盤やタガネ、顕微鏡などを買い込んで、本格的な部品工作に挑戦する人もチラホラ。
中にはシリンダー式のボロ時計を改造して、「トゥールビヨンの置時計」 を作る人まで出てくる始末。
ちなみに 「時計教室」 自体はお馴染みさんに対するサービス、つまり無料だったが、、、皆さん教材用のムーブメントやアンティークの工具、その他材料などを購入して下さって、店としても大いに助かった。
時折1階に降りると、パイプを咥えたHさんが、煙の中で何人かのお客さんと話し込みつつ、、パイプやライター、その他指輪や腕時計を買ってもらっている。
2階では、私と岩田が時計に夢中になっている横で悦っちゃんがお馴染みさんにお茶を入れ、お話ししたり、時計を見せたり。
催事を辞めた当初は不安だらけだったし、また実際にやりくりの厳しさはあったが、、、こうして店が賑やかになっていくにつれ、次第に自信が沸いてきた。
なんだ、やってイケてんじゃん!
もう催事に出なくても、、、こうして4人がそれぞれ持ち味を発揮すれば、ジャンクヤードはやっていけるのだ、と。
そんな落ち着いた日々が続いた頃、、、「こんにちはー。 お邪魔しますよー。 おお、中島君、やってるねー!」
2階に上がって来たのは、ダイビング時代の社長 「Yさん」 と先輩の 「Kちゃん」 のコンビ。
ちなみにYさんは、ダイビングショップの元オーナー。
40代半ばでショップを私達スタッフに譲って以降、、、あちこちプラプラ、悠々自適の生活。
数々の武勇伝の持ち主だが、私は中学生の頃からお世話になっている方で、、、引退後も、旅行に行ったり釣りをしたりと、長年のお付き合いだ。
Kちゃんの方は、ショップで働いていた頃の先輩。
歳は私と一つしか違わないのだが、女性らしからぬパワー(?)と類まれな商才の持ち主で、20代でダイビングリゾートのオーナーとなり(以前悦ちゃんはここで仕事をしていた),30代にしてリタイヤ、、、羨ましいことに、こちらも、悠々自適である。
いずれにせよ、、、昔からこの2人が現れる時は、何かある。
私は心中、ちょっと身構えた。
もっとも何かと言っても、悪い話しは決してないのだが、、、「今からメキシコに潜りに行こう」 とか 「来週ヨットを買いに行くから、アムステルダムまで付き合って」 とか、、、とにかく突拍子もない話しが多いから、、。
「中島君、ちょっと今から出られる?」 とKちゃん。
そうら始まった、、、私の思った通り。
「悪いようにはしないから。 中島君に、是非見せたい所あんのよー。 ちょっとぐらい平気でしょ、ホラ、早く早く。」
せっかちなKちゃんが、せっつく。
「忙しいところ悪いねー。 でも中島君に絶対いい話しだから、騙されたと思って、ね!」
Yさんにそう言われれば、、、断る術はない。
アムステルダムにだって、そうやって翌週にお供したくらいなのだ。
「ちょっと出てくるから頼むねー」
岩田とHさんに店を頼み、悦っちゃんと私はYさんの車に乗り込んだ。
車の向かっている先は、、、吉祥寺だった。
(続き)