「次の時計、いいですか?」
奥でツイッターを見ていると、ちょっと疲れ気味の真下が寄ってきた。
昼過ぎに渡した定期整備の時計が終わったようだ。
「ん? 次か。 ちょっと待てよ。 次はなー、、」
金庫に頭を突っ込みながら引き出しを開けると、、、あ、これがいい。
「ちょうどいい時計があったぞー。 おい。 嬉しいだろー?」
ニヤニヤしながら振り返ると、 「え、、なんですか、、?」
ポカンとしている、というかちょっと警戒モードの真下に手渡したのは、、世界大戦に使われた、米空軍用のハミルトン。
飛行機の操縦席にはめ込まれていたいわゆるコックピットクロックで、ポインター式のカレンダーがついた、真っ黒で角ばったゴツイ時計だ。
「うわ、、でたー、、。」
まったく予想外の時計だったようだが、、まんざらでもない顔をしている。
ちなみに、うちでは通常クロックの修理は受け付けない。
クロックをちゃんと修復しようとすると、懐中時計や腕時計で使う工具とはまったくサイズ感の違う道具立てが必要になるのが、その主な理
由。
この時計は、かなり昔に例外的に引き受けた時計の、何度目かの定期整備だった。
で、何故これが 「ちょうどいい時計」 なのかと言うと、、、このところ真下は、同じタイプの時計の定期メンテナンスがずっと続いていたから。
仕事とはいえ、同じことをずっと繰り返していると、人間、どうしても緊張感がなくなる。
これは、どれ一つとっても同じ状態の個体がないアンティーク時計でも、やっぱりそうなりがちだ。
時計をやっている人なら、想像がつくだろう。
リバーサイドの次にリバーサイドマキシマが2連発、そのあとハミルトンの992、920、、エルジンのB.W レイモンドが入ったあと、またハミルトン
950なんて感じに続けば、、、誰でもちょっと違う感じの時計がやりたいなー、なんて感じになるもの。
ましてや、うちに来るのは同じ作業をひたすら繰り返すメーカーなんかの仕事が向いてないと自覚しているのばかりだから、できるだけ同
じような時計が続かないように分配するのも、私の仕事のうち。
そういう意味で、このコックピットクロックは真下にとって、今月はじめのプレミアマキシマ、先月のメイラン ミニッツリピーターに続く、気分転換
の時計ということになる。
こんなことを言うと、怒りだす人がいるかもしれないな。
大切な私の時計を、仕事の気分転換にするな、と。
でも、馴れ切った気持ちで時計をいじったら、むしろ危ない。
事故というのは、緊張している時に起こすものではなく馴れた頃の油断から起こすもので、、、車の運転だってそうじゃないか。
初めてやるタイプの時計なんかをいじる時は、30年以上やってる私だっていい緊張感があるもんだし、そういう時は、誰もが新鮮な気持ちで
慎重に仕事に臨むもの。
だから安全なのだ。
ちなみに、定期整備の連発になっている真下が他の連中より楽な仕事をしているのかというと、これはむしろ逆。
定期整備は新規の大がかりな修理より心の負担が大きいもので、、、これが連発すると、かなり消耗する。
それは何故か?
定期整備の時計っていうのは、「何の問題もないです」 とか 「精度も良いし絶好調です」 なんて感じでお預りすることがほとんどで、現状、
快調に時を刻んでいる。
これをあらためて全分解→洗浄→組み立て→調整するわけだが、、ハッキリ言って、姿勢差を含めて一日何秒かの調整なんてのは、ほんの
ちょっとしたはずみで簡単に変化するもの。
とは言え、念入りに調整したのち時計をお返しして、万一精度が落ちたり不具合が出たりしたら、、、間違いなく 「定期整備のせい」
前と同じ、もしくはそれ以上に調子が良くなって当たり前、という前提があるから、全く気が抜けない。
反対に、最初からムチャクチャにぶっ壊れていて、動かない時計の場合はどうか?
うちには動かないどころか、針が無い、リューズが無い、歯車が無けりゃあケースも無い、なんて時計が普通に入って来る。
そういう修復は技術的に大変と言えば大変なんだけど、最初からウンともスンとも動かなかったものが元気に動き出し、外観も見違えたよう
になると、 「壊れていた時計が直ったー」 と認識され易いから、、こういう時計の方が、心理的にはずっと楽だったりするわけ。
「いいか、いきなりバラすなよ。 そのままの状態で、最初によーく精度と調子を見てからだぞ。」
そんなわけで、仕事が出来るようになった新入りに定期整備を任せはじめる時、私は口が酸っぱくなるほど言って聞かせる。
清水も篠原も真剣そのもので問題ないが、、、もしも 「この時計はもう何度もやってるし楽勝だな、フフン、」 なんて感じの様子が見えた時
は、、、「バカヤロー!」 になっちゃうのだ。
(続く)